ワークライフバランス

 梅雨の解けない鬱陶しい初夏にも、蛙と鈴虫の鳴く涼やかな夜がある。しかしそれも嵐がやってきて、一瞬で終わってしまった。昼まで寝ているつもりが、暑さにうなされて目が覚めた。偶然通りがかった子供神輿のかけごえが聞こえる。可哀想にと思うのは、不当な決めつけかもしれない。冷たい麦茶を一杯飲んで、扇風機の電源を入れた。また眠くなる。うとうとしていたが、今度は自分の動悸で目覚めた。こんなに嫌なまどろみは久しぶりかもしれない。

 いま勤めている会社では、数ヶ月に一度、社員が集まって一時間ほどのワークショップをする。人生の満足度や、それを満たすためにやりたいこと、十年後の自分について等をメモする。その後、五人のチームをつくり、その内容を共有する。この活動をする理由はよく覚えていないが「良い仕事を続けていくには人生を楽しむことが必要だから」ということだったと思う。グループを作るのは、普段会話しないメンバーと接する時間を増やして、連帯感を高めようという狙いがあるのだろう。何度か繰り返してきて、いくつか思う所があったので、ここにまとめておく。

 まず、人生の満足度を測るために、ライフバランスホイールと呼ばれる図が使われた。まず、円を六分割してできた扇をそれぞれ仕事、家族、友人、健康、娯楽、精神という六つの観点に割り当てる。そして、六つの観点から見て、どの程度人生に満足しているかに応じて扇の大きさを決める。すると、総合的な人生の満足度、そして満足度の偏りがわかる。

 だが、実際に作業してみたところでは、このやり方は不確かだと感じた。たとえば、健康の観点で考えてみる。僕は腰を痛めたり、寝不足だったりして、決して健康ではない。理想から外れているので不満足だと言える。ただ、少し考え方を変えると運動していないわりに年相応の体重を保っているし、健康診断で大きな問題が見つかったことはない。こうしてみると、まあ満足だとも言える。そういう揺れがある。満足は考え方によって引き出すことができるので、どうにでもなってしまう。

 疑問を感じながらもワークショップは続く。ライフバランスホイールを参考にして、満たされない部分を埋めるような「やりたいこと」を探して、それを書き並べる。優先度をつける。最後に、その中から今後挑戦することを一つ選んでグループに発表する。この体験で気づいたのは「やりたいこと」を選ぶのは難しくないが、発表のしやすさは異なるということだ。

 誰が聞いても共感できることは発表しやすい。たとえば「健康のため体脂肪率を減らしたい」や「自分の家を持ちたい」といった話はありふれていて誰でも共感でき、発表しやすい。また、共感はできないにせよ「日本社会に影響を与えるような良い仕事をしたい」というような理想論は、恥じる所が無いので発表しやすいだろう。

 一方で僕のやりたいことは非常に言いづらかった。「小説を書きたい」というそれだけなのだが、一拍置いて決心しなければ発表できなかった。恥じる理由を一言で言うなら、幼稚に見られるだろうと思ったからだ。もっと具体的に言えば、オタクが自身の欲望を投影した物語に閉じこもろうとしている、と見られるのではないかと恐怖したからだ。いっそ伏せておけばいいのだが、このワークショップを何度も繰り返している中で、やりたいことをいつも秘するというのは、それはそれで居たたまれない気持ちになる。そのような葛藤の先に「小説を書きたい」ということを発表したが、特段何の反応もなく終わった。蔑まれるよりは断然ましなのだが、拍子抜けだった。

 発表しやすさの格差に不公平を感じる。たとえば同性愛者が本当に「やりたいこと」を公にするときは、これよりももっと苦しい葛藤があるだろう。共感されず、差別される恐れ。それらを避けて、二番目か三番目にある当たり障りのない「やりたいことを」引っ張り出すのも手だ。ただ、心に背いたまま満たされるもので、満足できるかどうか疑問は残る。果たしてどれくらいの人が、後ろめたさのない時間を過ごせているのだろう。

 上のようなことを考える暇もなくワークショップは終わった。人生の満足とは何か、やりたいことは何かを探究することは興味深いことだ。そういう意味で、このイベントの理念は納得できる。とはいえ、ゴールに近づいている気がしない。ライフバランスホイールや「やりたいことリスト」のような道具はあるにしても、それを使って前に進む力がない。参加者は誰もが悩める人だ。一時間では込み入った話はできない。そもそも、このテーマは一企業が受け止めるには重すぎる。参加している社員も、特別な何かを期待しているわけではない。「よかったね」あるいは「残念だね」と感想を述べることは出来ても、それ以上先へ踏み込むには繊細すぎる。そんな、もやがかかったような時間は、どこにも到着せず終わる。

動く人になりたかった頃の話

 深夜、蒸し暑さに目が覚めて、ずっと閉めっぱなしだった窓を開けた。公園の街灯が黄色い光を放っている。虫の声はまだ聞こえない。草木の葉ずれの音が聞こえてくる。ふと家の樹に目が止まった。こいつは、こんなに大きかっただろうか。幹は腕の太さほどしかないのに、二階建ての家と同じくらいの背丈になっている。

 大学最後の年、それから社会人になってからの数年は、幸運なことにいろいろな誘いがあった。だから、その波に乗って、ボルダリングとか、バーベキューとか、合コンとか、モンハンオフ会とか、技術者の勉強会とか、自動車の免許を取るとか、いろいろと挑戦してみた。彼女を作って、いわゆるリア充になれるかもしれない、とそんなことを考えていた。毎週予定が入っていたときもあったような気がする。

 結果を言うと、やはりというべきか、リア充にはなれなかった。もともとゲームばかりしていて引きこもっていたので、お洒落な店や知らない場所に行くと体が震えて、いやな汗が止まらなかった。女性と話が合うこともなかった。イベントが終わると一人、劣等感で悶えた。とはいえ、悪いことばかりでもなかった。会社の人とはずいぶん話ができるようになったし、純粋に面白いと思えることも多かった。誘いかけてくれた人が、うまくことを運んでくれたからだろう。

 人には、自分からどんどん動いて周りを引っ張っていける人と、待っていて引っ張られるだけの人がいる。動く人は相手を選ばす誰でも誘うことができるのに、待つ人は動く人がいないとなにもできない。それが、劣っていることのように思えた。待つ側である自分を恥ずかしく感じていた。変わらなきゃいけないと思って必死だった。

 ところが今は、そういうことが全く気にならなくなってきた。その理由はまだ、よくわからない。時間が過ぎて志がしぼんだのだろうか。それとも諦観を得たのだろうか。残念ながら時間がたりないので、今日はここまで。

自分で言葉を薄めてしまうこと

 毎日会社へ行く時に、近所の庭木に咲いているアセビの花を眺めている。小さな壺型の白い花を鈴なりに垂らしていて、ひと目でそれと分かるのに何年も気づいていなかった。桜のように華々しく咲いて散るものではないからだろう。よく調べてみると、アセビではなくてドウダンツツジというよく似た花だった。あまり区別する必要を感じなかったので、アセビと呼ぶことに決めた。

 後輩を叱って「こうしたほうが良いと思う」とアドバイスした事がある。あまり落胆させないように何か慰める言葉を探したが、良い言葉が思いつかなかった。たとえば「ドンマイ」とか「気にするな」というのは違う気がする。気にして欲しいから指摘した。気にされなかったら困る。「たいしたことじゃないけど」「些細なことだけど」とかいうのも違う。問題を小さくしたいわけじゃない。「人によって考えが違うから」とかは自分のアドバイスを自分で否定しているので、最初の意図に反する。結局何も言えないまま終わった。慰めるのではなくて励ます言葉が正解だったのかもしれない。「がんばれ」というだけでよかったのかもしれない。

 そんな風に僕は、何かを言おうとするとき、それは正しいのだろうかと自問する。反論を予測できたり、自分の主張にミスや例外を見つけたりできるからだ。しかし、マイナス面もある。何かと考える時間をとるので、動きが鈍くなる。判断に時間を要する。加えて、絶対に正しいという確証が得られるまで、主張をぼかすようになる。結果、説得力が弱まる。しょっちゅう「勘違いかもしれないんですけど」で話始めたり、話を終えるときに「まあ、いつもそうとは限らないですけどね」とか「個人的にはそう思いました」などという言葉がつく。そういうのが口癖になっていると、格好悪いなあと、ふと気づいた。

 会社で一番下っ端のときは、いくらでも自分を卑下してよかった。むしろ、先輩や上司の顔を立てるのには都合が良かった。しかし今は、五年も同じ会社に勤めて、自分より年下の後輩たちが何人も入社してきている。その中で、自信の無さそうな発言、保険をかけてばかりの発言をしていたら、説得力にかける。三十歳も過ぎたし、そろそろ、自分で言葉を薄めるようなことはやめにしよう。

表現不能なものを褒める

 椿の花が落ちていた。花びらになって散るわけではなく、まるで切り取ったように、根本からぽとりと落ちていた。調べてみると、それが自然の振る舞いだということがわかった。気がつけば、梅の花も散っている。部屋着を一枚減らした。灯油を使い切るために、ストーブをつけっぱなしにしている。

 ゲームがはかどらないので、いつもより早く動いた。風呂に入って、髪を乾かして、歯を磨いた。日付が変わるより前に、これで一日が終わりだという気持ちになった。それでも、眠くはないので、あてもなくヘッドホンをつける。何かと戦っている歌を聞いて、寂しくなる歌を聞いて、明るくなる歌を聞いた。何番目かに掘り起こした曲の中に「たった1つの想い」という歌があった。こんな歌詞で始まる。

たった1つの想い貫く 難しさの中で僕は
守り抜いてみせたいのさ かけがえのないものの為に 果たしたい 約束

 こんな詩なのに、声は優しげだ。訴えるわけでもなく、叫ぶわけでもない。困難に対する無力感と諦め。それでも対峙するという決意。それに慣れてしまった虚しさ。擦り切れた中でも屈しないしたたかさ。そんな風に、語られてもいないものを連想させられた。

 いくらか書き並べてみて、やはり音楽はわからないと思った。気持ちいいとか格好良いとか、感想を言うことはできるけれど、そのように感じさせた音を表現する単語がない。演奏と歌が流れている中で、何が起こっているのかわからない。料理と同じように。旨いと言うことはできても、そこで何が起こっているのかわからない。絵を見たときもそうだ。

 わからないのに、良いものだと語りたい。そういう時に人は、物語を与える。いつ、どこで、どんなとき聞いたか。どのようにして作られたか。たとえば、無農薬で育てた野菜を使った料理だとか。失恋したときに聞いた曲とか。物語は特別な意味を与える。歌の良し悪しや、料理の旨さとは関係がないのに。

 こんなに不完全な情報のなかで、自分にあうものを見つけられるのは、奇跡的なことかもしれない。

余計なお世話

 休日に早く目が覚めたけれど、なにもすることがなくて、ぼんやりしていた。座椅子の上で毛布にくるまっていると、睡魔がやってくる。テレビの音が遠い。これは昼寝すべきだと思った。雀のさえずりに、斜めに差し込む日差し。よれた毛布を直して布団に潜り込むと、すぐさま眠りに落ちた。

 「余計なお世話」という言葉がある。たとえば、自分が太っていること気にしていて、色々試したけどどうしても直せない、そんなときに事情を知らない知人から痩せたほうが良いよ、等と指摘されたりするのは、余計なお世話だ。これまでの事情や、自分の趣味嗜好を知らない人物が、知ったふうな口を聞くのは、実に腹ただしい。親しい人から余計なお世話をされて、失望することもある。

 僕自身もよく、余計なお世話だと感じることがある。つい先日もコードレビューの際に、嫌な気分になった。自分が苦労して書いたプログラムの欠点を暴き出される。その批判が正しいかどうかよりも、ただ自分の努力を蔑ろにされた気がして、ただただ不愉快になる。文章だけでやりとりしているときは、なおさらだ。

 だが、苦労して書いたプログラムに限って、ろくでもないプログラムであることも多い。試行錯誤した痕跡が残っていて、コンピュータに余計なことをさせていたり、遠回りをさせていたりするからだ。レビュアーのしょうもない小言や首を傾げるような指摘が、見落としていた核心を突いていることもある。

 だから、余計なお世話だと思ったときこそ、注意深くならなければならない。拒絶の言葉を吐き捨ててシャッターを下ろすのではなく、高ぶった感情が静まるのをじっと待つ。それから、相手の立場になってみる。大抵の場合、相手の真意は挑発でも皮肉でもなく、単なる親切心だ。そういう人を冷たく突き放すのは、大人げないことだ。

 ここまで考えていて、気づくことがある。余計なお世話だと思ったことは多々あるが、余計なお世話をしてしまった、加害者になってしまった、と感じるのは稀だということだ。それはたぶん、気づいていないだけなのだろう。何気ない場面で、助言のつもりで、人を傷つけている。罪深いことだ。

決められない事と直感と理屈

 目を覚まし体を起こしてみると、カーテンの隙間から雪景色が見えた。この冬では初めてのことだ。外へ出ると、隣の家の垣根に使われている広葉樹が雪をかぶって、しな垂れていた。空気は冷たいが風はなく、雲は晴れて太陽は明るかった。通り過ぎた電車が突風を吹かせて、雪を舞い上げる。珍しく明るい冬だった。

 昔のことを思い出すと、よく迷う子供だったと思う。いつも、レストランでメニューを決められない。「なんでも良い」だの「わからん」だの「さあ?」だのとはぐらかしていた。親が代わりに選んでくれるのを待っていた。お菓子を選ぶときも服を選ぶときも、特に何も考えず、自分で選ばなかったような気がする。当時からゲームの大好きな少年だったが、ゲームショップでさえ、よく迷った。親に車を出してもらって、欲しいものを一時間も決められず、結局手ぶらで帰るということもあった。正月にもらったお年玉は、一円も使わずに親に渡していた。節約のためではなく、買うものが決められなかったからだ。

 昔、森博嗣のエッセイに「服を買うときは値札を見ないで買う」と書いていたのを読んだ。成金の冗談にも取れるが、もちろんそんなことが言いたかったわけではない。自分にとって価値があると判断したら、それを買うべきであって、バーゲンだとかセールだとか、ポイントがどうとか、他人から見て似合うかどうかとか、そんなものを気にする必要はない、と言いたかったのだと思う。値札を見ないのはやりすぎだが、自分が欲しい思うものを、手に入れるのが良い。

 なるほど。そんな風に直感で物事を決めていくのは格好良い。しかし、直感だけに頼っていたら、選択が不安定になる。これだと確信を持って選び取ったものが、今日は色褪せて見える。誤りだったかもしれないという不安と後悔に襲われる。直感とは、力強い言葉のように聞こえるが、実際には脆い。信頼できない。

 そこで理屈を使う。直感に理由を添えてやる。なぜそれを選ぶか、ということを自分に説いて聞かせる。そうすれば選択は安定する。同じ問題が出てきたときに、同じ考え方でものを選ぶことができるからだ。「どうしてそんなものを選んだの?」と変人扱いされたとしても、それにはこういう理由があるからだと跳ね返すことができる。

 直感に理屈を添える。これを繰り返しているうちに、どんな選択に対しても、それを支える理屈を作り上げることができそうだということに気づく。たとえば、夢を追いかけるべきか、サラリーマンになるべきかという選択。夢を追いかければ、たとえ失敗したとしても後悔はないだろう。だから夢を追いかけるのが正しい。そういう理屈がある。一方で、成功するかどうかもわからない世界に飛び込んで散るよりは、安定した収入が得られるサラリーマンになって幸福をつかむほうが良い。そういう理屈もある。さて、どちらが正しいだろうか。

歳を重ねて

 年末の懇親会を終えてからは、家でじっとしていた。去年プラモデルを組み立てたことを思い出す。特別な喜びはなかったが、どこか厳かで徳が高まるような気がした。今年も静かに、何かを組み立てるのも良いかもしれない。膝にかけている毛布を目当てに、うちの老猫がやってきた。普段はベタベタしない猫なのだが、この時ばかりは別らしい。

 二〇十六年で、三十歳になった。ずいぶん長く生きてきたなと感心する。幼稚園や小学校のことは殆ど覚えていないが、それでも二十数年の記憶がある。中学校であったこと。高校であったこと。大学であったこと。大学院であったこと。就職してあったこと。僕は行事には消極的だったので、ドラマチックな思い出は皆無だが、それでもいくらかの楽しい思い出がある。写真は撮らない主義なので、卒業アルバムもぞんざいな扱いである。何一つ残っていないが、切り取って飾っておきたくなるような、美しい時間もあった。もちろんその逆に、辛い思い出もある。

 僕のように、消極的に生きてきた人間でさえ、積み重なった時間がある。テレビやインターネットで暇をつぶしてばかりの両親にも、長い人生の思い出があるのだろう。機会があれば、聞いてみるのも良いかもしれない。どんなに話が合わなく見えたって、年齢という重みは、話題を与えるだろう。

 大病を患って以来、おとなしくなった父を見て、彼の人生はもう、あとは緩やかに死ぬだけなのだろうなと感じる。寝転んでテレビを見て笑うことが日課になっている。何かを練習するとか、勉強するとか、作り上げるとか、日々積み上げるものがない。衰えるばかりで、成長がない。平均寿命を考えれば、あと十数年は生きられるだろうから、盆栽でも何でも、新しいことを始めれば良いのにと思う。

 まるで、生涯成長し続けることが義務みたいな書き方をしてしまった。成長を求めるかどうかなんて、ただの好みの問題だ。成長すること以外にも、きっと生きがいがあるだろう。よく言われるのは、子供や孫の成長を見ること。自分から何かを働きかけるのではなくて、ただ変わっていく姿を愛でる。それを一番の楽しみとする。そういう生き方。自分ではなにもしないというのが、ちょっとずるい気もするが、子を育てきった親の特権として、それくらいは許されるだろう。子供のいない老人は、もっと考えをふくらませて成長していく会社、業界、社会を見つめるのを老後の楽しみにする。そういう手もありそうだ。