面倒くさいけど、自分で決めたほうが良い

 もう十一月も終わり。今月は特に何もなかったな、と思いながら適当に人の日記を見て、気になったのがこれ。「お酒を飲むのを強要されたかった」という記事。

  http://anond.hatelabo.jp/20131128231038

 正直なところ、僕は「お酒を飲むのを強要されたかった」と思ったことなど生まれてこの方一度もないし、これから先も永遠にないだろう。だから、僕はこの記事を書いた人が、どうしてこんな記事を書いたのかが気になった。

 単なる想像だけれども、ルールを破る言い訳が欲しかった、ということが1つの理由ではないかと思う。自ら進んでルールを破るのは恐ろしいことだ。ルールを破ったものは当然、罰を受けるだろう。しかし、他人からルールを破るように指示されたのであれば、罪悪感は和らぐ。責任がすり替わるのだ。だからこそ「お酒を飲むのを強要されたかった」のだろう。

 記事を書いた人は『「未成年飲酒は悪」という固定観念に囚われてしまった』と書いている。『「あぁ、普通の人はやっぱり成人するまで酒飲まないんだな」とか高校生の頃は誤解してた』とも。そうまで書いておきながら、それでも結局飲んでない。本音と建前とか言って、割り切ってるわけでもない。この心の揺れが、いかにも若者らしい感じがする。

 子供の時は「大人がそう言ったから」 というのは究極の理由だった。少し年をとって「人がそう言ったから」に代わった。それからもう少し年をとって、いつまでもそれだけを支えにすると生きにくいようだ、ということがわかった。面倒なことだが、自分で判断して自分で責任を負ったほうが良い。なぜなら、人に判断を任せても、その責任は自分に降り掛かってくるからだ。

 「お酒を飲むのを強要されたかった」そんな風に、人に判断を委ねて、言われるままにするのは楽なように思える。けれどきちんと考えたら、何らかの答えがひとつ定まるはずだ。たとえば「法律違反の罪を負うのは自分だし、体を壊したとしても誰も代わってくれない。だから未成年飲酒はしない」というような。あるいは、「そんな大層なことになる可能性なんてたかが知れているから、多少のリスクは負ってでもお酒を飲んでみたい」という考えもあるだろう。どっちにしたって、自分で決めれば後腐れはない。失敗したって、そんなに後悔はしないはずだ。

 個人的なことを言うと、僕は酒の良さがわからない人間だ。だから、そういうことに悩んだことはない。ただ、お酒に関しては大失敗した時のリスクが大きいので、気をつけたほうがいいんじゃないかと思っている。