スコアランキングの熱と虚無の時間

 先月の末に一度見たっきり、赤とんぼを見かけない。何かの勘違いか、まぼろしだったのかもしれない。それでも、暦の上では秋が来て、少しずつ冷えるようになってきた。今月は「片道勇者」「Crypt of Necrodancer」「ブレイブルー クロノファンタズマ」あたりを中心に遊んだ。それからついに「あやかし百鬼夜行」を遊ぶのを止めた。「遊んで、終わった」という感覚が離れて行く前に、ここで一呼吸置いて、まとめておくことにしよう。

 「あやかし百鬼夜行」は、カードを集めること、ランキングに挑むこと、トレードすること、その3つが面白いゲームだった。ランキングに挑むこと、それ自体はまだ中々楽しいものだと思っている。時間あたりのスコアの獲得率を考えて、自分の目指せる順位を予測して「降りる」という選択をしたり、あるいは「いける」と判断して上位に挑戦してみたり。

 また、上位を目指すには有利なカードを集めるためのトレードも重要だった。このゲームのトレードにはシステム的な制約がほとんどない。そのせいで、現実にも似た面白い文化が生まれている。そこでは、ゲーム中の回復アイテムが通貨の役割を果たす。蚤の市みたいに、あちこちで声掛けだとか値引き交渉が行われている。カード同士の等価交換ではなく、イベントで協力する条件にカードのトレードを利用する人々もあった。相場に合わないトレード(シャークトレード)をもちかけるプレイヤーが横行したりもするので、良いことばかりではないが。

 僕は、このゲームにかけるお金は多くても月0円〜3000円くらいに抑えていた。当然、それ以上投資しているプレイヤーには歯が立たない。それでも手持ちのカード、時間、資金、アイテム、それらのリソースを管理運用する面白さは確かにあった。欲しいカードが出るまでは、アイテムを集め、トレードをしながら牙を研ぐ。周到に準備して、時間をかけてスコアを稼ぎ、上位を目指す。人と競う、勝敗の熱。デイトレーダーみたいに、10分毎の順位変動を見つめたりもした。たしかに面白かったのだ。

 では何故やめたのか。ひとことで言うと、スコアを稼ぐのが面倒くさいからだ。ランキングに挑戦するには、スコアを稼がなければならない。スコアを稼ぐ方法は簡単だ。ただひたすら画面をタップすればいい。「探索する」とか「デッキを選ぶ」とか「ボスを攻撃する」とか手順を分けることはできるが、それらはただひとつの行為に集約される。「画面をタップする」それだけだ。タイミングよくボタンを押すとか、敵の体力を見るとか、適切なコマンドを選ぶとか、そういうゲーム的なアクションはほぼ必要ない。5分とか10分のスキマ時間を使って楽しむことができるように設計されているのだろう。

 最初は、レベルが上ったり、お金が増えたり、見慣れないカードを手に入れたりするから、まだ面白かった。しかし、長く遊んでいるとレベルは上がりづらくなる。お金は余っているのでいらない。手に入るカードは何百回も処分してきたものになる。実に退屈だ。それを1時間も2時間も続けなければならないのだ。いや、ランキング上位を目指すなら、それどころではない。ひたすらタップする。唯一の楽しみは、獲得したスコアと、ランキングを眺めることだけだ。そんな時間が、約一週間も続くことになる。それは、自分の人生について振り返りたくなるほど、虚無の時間だ。

 虚無の時間。「遊んでいるはずなのに、全く楽しくない」というその感覚。どんなゲームでもゴールのための苦痛は、どこかに転がっているものだ。しかし、虚無の時間には、変化がない。改善できない。そう感じたら、そのゲームはプレイヤーに別れを求めているのかもしれない。

 収益があるかぎり永遠に続くソーシャルゲームは、自分で踏み切らない限り、別れられない。だから、楽しくないと感じるサインを見逃さないようにしたいものだ。