eggchicken's diary

ゲーム好きプログラマーの日記

勇気について

 天気の悪い日が続いた。雪や雨にふられて、濡れながら走るような日が何度もあった。どうにか晴れた日も、外に出ると霜が降っていたり、刺すような冷たい風が吹いていた。どれだけ重ね着をしても、顔だけは寒さに耐えなければならない。顔を守るとしたら、銀行強盗がつけていそうな覆面でも買えば良いのかもしれない。正面から吹き付ける風に目を細めながら、そんな妙なことを考えた日もあった。

 少し前に、海猿という漫画を読んだ。海難救助に参加する青年の話だ。生死に関わるドラマを単に描くだけではなく、海賊や不審船なんかの現実問題も絡めてあり、なるほど知らない世界だと感心させられた。それ抜きにしても熱くて良い漫画だと思う。特に印象に残っていたのは勇者の話だ。「怖いもの知らずだから勇者なんじゃない、怖いけど勇気を出すから勇者なんだ」というようなことを言っていた。大したことじゃないけれど、勇気が必要なときにこのことを思い出す。たとえば、親しくない人に話しかけてみようかと迷う時。会議で反対意見を主張しようとする時。言いたいことがあって、けれど言わなくてもなんとかなる時。そういう時に「怖いけど勇気を出す」という言葉が、かすかな後押しになる。

 親しくない人に話しかけたり、会議で反対を主張することが、本当に勇気のあることかと言われると、わからない。けれど、そこには躊躇する要因があって、それを振りきって行動するという過程があった。それが勇気なのだと思う。他には、好きな人に告白することだってそうだ。あなたが好きですという言葉を発することで、周りの人たちにばかにされたり、告白した相手に拒絶されたりするのではないかと恐れる。恥ずかしがる。自分の本心をさらけ出しているわけだから、それが失敗に終わったとき、ひどく傷つくだろう。その恐れを振りきって行動するから、そこには勇気があるのだと思う。

 逆に言うと、同じ告白であっても、そこに迷いがなければ勇気はないのだと思う。いつも誰にでも好きです愛してます、と言いふらしているような人が、同じ調子で誰かに告白していたらどうだろうか。好きな食べ物を話しているのと同じくらい軽い。まあ、そうは言っても、ひどく口ごもっていたり、顔を真赤にしながら言っていたなら、きっとそこには恥があって勇気がある。

 迷いがあって、決断があれば、なんだってそこには勇気があると思う。エロ本を買うことすら、そう思う。自分のことを振り返ると、二十歳を超えるまで、勇気を出す機会を避けるようにして生きてきた。だからほかの人と比べて、勇気を出すことに慣れていない。皆がもうとっくに慣れて、勇気なんか出さずともできることに、勇気が必要だったりする。たとえば、喫茶店に行くこととか。これ以上は情けなくなるばかりなので、伏せておく。ともかく、そんなふうに、日常の中で勇気を出しながら生きているだろうかと考えてみるのも面白いかもしれない。