表現不能なものを褒める

 椿の花が落ちていた。花びらになって散るわけではなく、まるで切り取ったように、根本からぽとりと落ちていた。調べてみると、それが自然の振る舞いだということがわかった。気がつけば、梅の花も散っている。部屋着を一枚減らした。灯油を使い切るために、ストーブをつけっぱなしにしている。

 ゲームがはかどらないので、いつもより早く動いた。風呂に入って、髪を乾かして、歯を磨いた。日付が変わるより前に、これで一日が終わりだという気持ちになった。それでも、眠くはないので、あてもなくヘッドホンをつける。何かと戦っている歌を聞いて、寂しくなる歌を聞いて、明るくなる歌を聞いた。何番目かに掘り起こした曲の中に「たった1つの想い」という歌があった。こんな歌詞で始まる。

たった1つの想い貫く 難しさの中で僕は
守り抜いてみせたいのさ かけがえのないものの為に 果たしたい 約束

 こんな詩なのに、声は優しげだ。訴えるわけでもなく、叫ぶわけでもない。困難に対する無力感と諦め。それでも対峙するという決意。それに慣れてしまった虚しさ。擦り切れた中でも屈しないしたたかさ。そんな風に、語られてもいないものを連想させられた。

 いくらか書き並べてみて、やはり音楽はわからないと思った。気持ちいいとか格好良いとか、感想を言うことはできるけれど、そのように感じさせた音を表現する単語がない。演奏と歌が流れている中で、何が起こっているのかわからない。料理と同じように。旨いと言うことはできても、そこで何が起こっているのかわからない。絵を見たときもそうだ。

 わからないのに、良いものだと語りたい。そういう時に人は、物語を与える。いつ、どこで、どんなとき聞いたか。どのようにして作られたか。たとえば、無農薬で育てた野菜を使った料理だとか。失恋したときに聞いた曲とか。物語は特別な意味を与える。歌の良し悪しや、料理の旨さとは関係がないのに。

 こんなに不完全な情報のなかで、自分にあうものを見つけられるのは、奇跡的なことかもしれない。