艦これの話、…いや擬人化の話をしよう。

いつも買っている弁当が売り切れていたので、路頭に迷った末に職場のすぐ裏にある小さな洋食屋に入ってみた。僕より二回りは年上のおじさんたちが、タバコを咥えて雑談している。受け取ったメニューはあまり見ないまま、日替わりランチを頼んだ。初めて行く店だから、とりあえず日替わりを頼んでおけば良いだろうと思ったわけだ。出てきた料理はあまり見たことのないこんにゃく料理とサラダと豚トロだったが、味はまあ、ごく普通だった。値段も高くも安くもないありふれたもの。食後に出てきたコーヒーで一息ついて店を出た。

さてそういう風に、思い起こした所で別段面白いことがないのが日常だ。仕事上の小さなトラブルはいくつかあったけれど、自宅でわざわざ仕事のことなど考えたくはない。こうして日記を書く片手間に、なんとなくブラウザを立ち上げて動かしているのが「艦これ」だ。少し艦これの話、…いや擬人化の話をしようと思う。

艦これが何か分からない人のために、もう少し説明しておく。艦これは、日本の軍艦を女の子に見立てたカードを集め、育てていくゲームだ。よくあるカードゲームと同じように、キレイな・かっこいい・可愛いイラストが書かれている。破損するとエロすぎない程度に服が破れるとか、よく通信エラーになるとか、ここに書いてないことも色々あるだろうが、その辺はまあいいとしよう。とりあえずここで注目したいのは、人でないものを人に見立てることの効果についてだ。艦これでは、軍艦をモチーフにした女の子が大量に登場する。そういった擬人化には、どんな意味があるだろうか。

一つには、たやすく多様さを生み出せることがあるだろう。ものとしての性質や傾向に目をつけることで、それらを反映した多様な人格を生み出すことができるわけだ。実際艦これでは、ある空母は戦闘で強いが被弾しやすい自信家とか、戦艦は打たれ強くて従順とか、そういう属性の付け方が行われているようだ。僕は軍艦に詳しくはないが、そういう性質がイラストに反映されていたりするようだ。

また一つには、そのものが背負っている物語を共感しやすくし、親しみをもたせる効果があるだろう。たとえば、はやぶさという名の小惑星探査機を思い出してほしい。はやぶさは、実にドラマチックな最期を迎えたことで有名で、映画化もされた。僕はこの映画を見たことがないのだが、CMで日本語を喋っていたのを覚えている。それは弱々しいが前向きであり、強烈にいじらしさを感じさせるものだった。

こうして見ると、擬人化はいいものだ。ご当地キャラなんてのも、こういう狙いがあるのかもしれない。単に名物というだけでなく、人間に置き換えて色付けすることでわかりやすくする。ネタに困ったらとりあえず擬人化しておけば良いような気がしてきた。はてどうだろう。