火のゆらめき

 今日はとても暖かく、良い天気だった。ただ駅まで歩く短い時間でさえも、特別な穏やかさに包まれているかのように感じられる。母に言われてようやく気づいたのだけれど、庭の衰えた桜も、どうにか花を咲かせていた。

 つい先日、ボードゲームに参加させてもらった。非常に面白かったのだけれど、プレイを終えてからしばらく、熱っぽさと頭痛、それから強い疲労感があった。それでも、いつもどおりに帰宅して、毎日続けているビデオゲームを再開した。疲れているはずなのに、妙に眠気がなくていつも以上に夜更かしをしてしまった。

 翌日、昼過ぎに目覚めて、朝食も取らずにタブレットに触れていると、突然、何かのスイッチが切れたように、脱力感に襲われた。そこでゲームをすることが酷く億劫で無意味に感じられた。この虚無感は何だろう。タブレットを手放して、じっとしていた。何もしないと、何かを考えてしまう。何のためにゲームを続けているのだろうか。

 まずは、除外しておきたい考えが真っ先に浮かんでくる。終わりが無いから続けている。他にすることがないから続けている。悪くはないが、暗い話になりそうなので止めておく。それから、何かのために続けているわけではない、すべてのことに理由があるわけではない、という冷たい考え方。嘘ではないが、何にでも当てはまることを大げさに言ってもつまらない。

 有名な誰かが言っていたことを思い出す。その人は、ゲームを続けていられるのは、自身の成長を目的としているからだ、と言っていた。過去の対戦を観察し改善点を探す。改善点を身体に覚えさせ、正確に再現できるように反復練習する。実戦で改善されたかどうか検証する。そのプロセス、確かに強くなる手応えが楽しい。天辺を探すのではなくて、いつだって、今の自分よりほんの少し強ければ良い、と言っていた。少しずつ少しずつ、その積み重ねが、達人への道のりなのだろう。寒気のするような考え方だ。そんな求道者みたいな考えは持てそうにない。

 自分の考え方とは一致しないけれど、そういう情熱的な考えに触れると、意味もなく前向きな気持ちになってくる。マラソンの観客もそんな気持ちなのかもしれない。何の答えも見出してはいないけれど、達人の見る世界を思い描くだけで愉快な気持ちになれたので、今日はそれで良しとする。