家事について

 朝の寒気がはっきりと感じられるようになってきた。青々と波打っていた水田の爽やかさを書こうと思っていたけれど、その機会もなく実りの時期は過ぎ、刈入れが終わって今はもう丸裸になってしまっている。どうにも、時間がすぎるのは速い。

 ちょうど毛布を引っ張りだした頃、急に母が不調を訴えだした。すぐに治るだろうと思っていたけれど、長引いている。小さな病院でも、大きな病院でも診察を受けたものの、原因はわからなかった。今もまだ長い時間を布団の上で過ごす生活が続いている。ただ、食欲は出てきたので少しは回復したのだろう。

 ともかく、そういったことがあってから、母に任せきりだった家事について考えなければならなくなった。父はほとんど家事をする気がなかった。食事はコンビニの弁当で良い。ゴミはあふれても気にしない。洗濯をしたくないから着替えなければ良い、食器洗いをしたくないから割り箸や紙コップを使えば良い。そう考えているらしい。

 僕も普段家事をしないので、いつもどおり過ごしていると、家が汚くなった。洗濯物が山積みで着る服がなくなったし、台所は汚れた食器であふれ、カビの生えた鍋が放置されていた。空き缶とコンビニの袋に包まれたゴミがそこら中に転がっている。

 普段、何一つ考えずゲームばかりしているのだが、この時ばかりは居ても立ってもいられなくなって、まずは、ゴミをひたすら捨てた。テレビにかじりつくばかりで、家事をしようとしない父に腹が立ったが、すぐに期待するのを止めた。

 次に、切らしていた歯磨き粉や、その他の消耗品を買ってきた。飲み物を買ってくるのが重たくて、自宅でお茶を淹れるべきかと思ったが、急須にはカビが生えてしまっていたので諦めた。維持されるためのコストが払われなくなれば、ものは簡単に失われるのだと知った。

 洗濯機を回して、外に干した。肌着のような傷みやすい服はネットに入れて洗えと母から指示があったのでその通りにした。食器を洗って、指がふやけた。シンクに溜まっていた生ごみは菌が繁殖して、表現しがたいグロテスクな物体になっていた。悲鳴を上げながら始末した。こんな時は、絶対に視力が低いほうが得をしていると思う。

 慣れないことをしたせいか、ぐったりしたが、それでもできないことはないな、と思った。プログラミングの仕事をしている時よりも、家族に貢献しているという気持ち、誰かのためにはたらいているという手応えがあった。生活に必要な物を満たしている、人間らしい活動をしているという感覚もある。それはゲームをしている時間と比べると、奇妙な爽やかさがある。

 もしかすると、普段は退屈だからゲームをしているだけなんじゃないだろうか。そんなことを思った。本当は別にゲームが好きなのではなく、空いた隙間を埋めているだけなのではないか。虚しい考えだと思った。けれど、そんなものは杞憂だということがすぐにわかった。数日後には、当たり前のように、楽しくゲームができていたからだ。