不満を分析する

 我が家ではまだ、たびたび暖房をつけているが、日中は少し暖かくなってきた。梅の花が咲いているなと気づいた頃には、隣の庭にも赤い花が咲いていた。残念ながら、名前は知らない。田畑もずいぶんと賑やかになっている。白詰草でいっぱいになっているものもあれば、芝生のような青々とした草が敷き詰められているものもある。菜の花だらけの場所もあった。寝かせている土地に勝手に生えてきたのか、植えているものなのかは知らないが、色々な草花が元気をとりもどしているのは確かなようだ。

 春の気候とは対照的に、自分自身はあまり良い調子ではない。特に、色々事情があって、今勤めている会社に対して不満を抱いていることが大きいのかもしれない。あれこれと考えてみたが、あまりうまい解決策を見出すことができていない。もやもやするなかで、不満そのものの性質、捉え方を考えてみた。あまり良い成果は出ていないが、他に書くこともないので、少しまとめておきたいと思う。

 不満とは満たされないことだ。何らかの理想に対して、現実がそうではない時に生まれる。たとえば、給料が低いとか、残業が多いとか、上司がうるさいとか、そういった何気ない不満のなかにも、理想と現実がある。

 考えやすそうな「給料が低い」という不満を例にして詳しく見ることにしよう。まず、理想について考えてみる。「給料が低い」という言葉を裏返すと「給料が高い」という理想があることがわかる。だが、どのくらいだと給料が高いのか、というものさしは人によって異なる。理想とする給料が年収一千万の人もいれば、自分の衣食住が足りる程度で十分だという人もいるだろう。

 次に、現実について考えてみる。「給料が低い」というのも主観的な意見なので、これも人によって異なる。愚痴をいう時は特別考えたりしないものだが、アルバイト並に低いとか、一ヶ月の生活費より低いとか、自分の友人の給料より低いとか、何か思い浮かべていることがあるはずだ。月収○万円と具体的な数値を出すよりも、何と比べて低いのか、ということを見つめるほうが理想とからめて考えやすい。

 こうして不満の要素を分けることで、どう立ち向かうかということが捉えやすくなる。不満を取り除く方法はおおまかに2つある。現実を理想に近づける努力をするか、理想を諦めて現実を受け入れるか、どちらかである。「給料が低い」の例では、収入を増やして現実を上げるか、支出を減らし理想を落とすか、ということになる。ここから、もっと具体的な案を出していくとよい。

 ひとつ注意するべきことは、現実について、あまり広く見過ぎないようにすることだ。たとえば「給料が低い」という現実の背景には、覆し難い事実がある。日本が不景気だから、給料が低い。確かにその通りかもしれないが、不満を抱く個人が解決すべき問題では無いはずだ。自分の給料を上げることが理想なのに、日本が好景気になることを理想だと取り違えてはいけない。果てしなく不確かで、遠回りの道になるからだ。最近話題になった「保育園落ちた日本死ね」の人についても、ずいぶん大変な方法を選んだものだな、などと感じた。そういう人が社会を動かすのかもしれないが、個人の不満を解消するのはずっと先になるだろう。

 あれこれと話を書いてきたが、実際に不満を述べる時は、本当に解決したいというよりは、単に共感して欲しいだけのことも多い。しかし、共感を得ることで和らいだ不満は、そのうちまた膨らみ始める。共感を求めて不満を吐き出すのも悪くはないが、腰を据えて不満と向き合うほうが良い結果をもたらすと信じている。