二十数年越しに将棋を学ぶ

 風邪を引いた。弱った体で俯いて歩いていると、キンモクセイの花が散っていた。見上げると生きた樹があった。爽やかな香りがする。

 少し将棋の話を書く。初心者(僕)の考え方が、どのように変化してきたかということを整理してみたい。駒の動かし方を覚えたのは小学校一年生くらいの頃だ。兄や叔父の相手をさせられるが、一勝もできず、負けて泣いていた。それからさっぱり触ることがなくなって、年に数回、父がしばしば見ているいる NHK の将棋トーナメントを横から見るだけだった。解説を聞きながら、プロの指す手に関心しながらも、何か超越した世界の出来事として認識していて、自分も将棋を指したいとは少しも考えなかった。

 それから会社で、こんな動画(http://www.nicovideo.jp/watch/sm25024123)を教わった。わかりやすく、ためになる良い解説だと感じた。これを機に少し、将棋を指してみたいと思った。今まで知らなかったことを覚えて、かつての弱さを跳ね返すことができそうな予感がしたからだ。

 この動画ではまず「有利になる行動」をはっきりさせている。一つは、相手の駒を取る(もしくは、弱い駒を犠牲にして強い駒を取る)こと。もう一つは、自分の駒を成ること。この2つが有利になる行動だということは、改めて考えてみれば当たり前のことなのだが、それを狙うと良い、ということはルールに書かれていない指針である。将棋は「王を取れば勝ち」という最終目標は明確だが、そこに至るまでの過程は白紙である。この「有利になる行動」が白紙を埋める手がかりになる。

 初めて将棋に触れたときのことを思い浮かべると「とりあえず大きく動ける飛車、角が強い。とにかくそれを前に押し出す」という感覚でゲームを進めていたと思う。この中間目標は、守られていない駒を脅かすことはできるが、それ以上王手に結びつくものではない。ある程度形が進むと、いたずらに飛車を右往左往させるだけで、相手の陣地を崩せなかった。

 飛車や角の利きを広げるというのは、実のところ「有利になる行動」の一つではあるけれど、それ一本では脆い。すぐに達成できる目標だから、次なる目標が必要だった。たとえば、銀を援護に出して、どうにか飛車が「成る」ことを目標にするなら、棒銀を発見できたかもしれない。今そういう発想を持てるのは「自分の駒が成る」ことが有利だと知っているからだ。

 「有利な行動」は何か、という知識をさらに応用すると、攻め方だけではなく、守り方もなんとなくわかるようになる。なぜなら「有利な行動」は「相手にさせてはいけない行動」でもあるからだ。つまり、自分の駒が取られることや、相手の駒が成ることを避けるのが、守りの手である。駒を取られないように、しかし相手の駒を攻めなければならない。

 ここで、プロ棋士の対局動画をいくつか眺めてみた。飛車、桂馬、銀を中心とした右側を攻めに使い、余った金と左陣地を守りに使っていた。なるほどこの形が良いのかと納得した。矢倉とか穴熊の形を覚えた。そういう形があるのは知っていたけれど、さっぱり覚えられなくて不要だと思っていたけれど、なぜこの駒組みなのか、ということを知っていると、不思議と覚えられるようになった。

 実際には、紆余曲折あってこれほどすんなり理解したことではないし、僕自身の棋力はたいしたことがないのだけれど、こんな風に、勝つための発想が、ひとつながりに成長していると考えると面白い。中盤や終盤の考え方はまた違った手がかりが必要だし、訓練を積み、知識を蓄えないと勝ちは遠いけれど、明らかな成長を得た満足感はある。