動く人になりたかった頃の話

 深夜、蒸し暑さに目が覚めて、ずっと閉めっぱなしだった窓を開けた。公園の街灯が黄色い光を放っている。虫の声はまだ聞こえない。草木の葉ずれの音が聞こえてくる。ふと家の樹に目が止まった。こいつは、こんなに大きかっただろうか。幹は腕の太さほどしかないのに、二階建ての家と同じくらいの背丈になっている。

 大学最後の年、それから社会人になってからの数年は、幸運なことにいろいろな誘いがあった。だから、その波に乗って、ボルダリングとか、バーベキューとか、合コンとか、モンハンオフ会とか、技術者の勉強会とか、自動車の免許を取るとか、いろいろと挑戦してみた。彼女を作って、いわゆるリア充になれるかもしれない、とそんなことを考えていた。毎週予定が入っていたときもあったような気がする。

 結果を言うと、やはりというべきか、リア充にはなれなかった。もともとゲームばかりしていて引きこもっていたので、お洒落な店や知らない場所に行くと体が震えて、いやな汗が止まらなかった。女性と話が合うこともなかった。イベントが終わると一人、劣等感で悶えた。とはいえ、悪いことばかりでもなかった。会社の人とはずいぶん話ができるようになったし、純粋に面白いと思えることも多かった。誘いかけてくれた人が、うまくことを運んでくれたからだろう。

 人には、自分からどんどん動いて周りを引っ張っていける人と、待っていて引っ張られるだけの人がいる。動く人は相手を選ばす誰でも誘うことができるのに、待つ人は動く人がいないとなにもできない。それが、劣っていることのように思えた。待つ側である自分を恥ずかしく感じていた。変わらなきゃいけないと思って必死だった。

 ところが今は、そういうことが全く気にならなくなってきた。その理由はまだ、よくわからない。時間が過ぎて志がしぼんだのだろうか。それとも諦観を得たのだろうか。残念ながら時間がたりないので、今日はここまで。