自動書記でお送りします

1日を終えて布団に入った。眠りたくは無い。まだ何も楽しいことがない。もっと楽しいことがないと眠れない。Twitterを開く。つまらない。津田大介のニュースで退屈を紛らわせるが下衆な喜びを感じる。嫌いな人が叩かれている様を見て喜んでいる。それだけだ。邪悪だ。品がない。自分を諫める。そういうことじゃなくて心が躍るような事は無いかな。胸が熱くなるような事は無いかな。いや、急に何を言っているんだ俺は。めちゃくちゃな要求だ。求めすぎている。愚かすぎる。貪欲すぎる。傲慢すぎる。もっとささやかなことに目を向けるべきだ。もっと一つ一つを大切にするべきだ。心が肥えて太っている。いや、肉体的にもだ。馬鹿みたいに食べ過ぎたり、真夜中にお菓子を食べたりして欲望に歯止めがきかなくなっている。喜びを感じる感性が麻痺している。何でもいいんだ。好きなものをまっすぐに見なくては。例えば、ぬるい水道水の中に冷たい氷を落としたときに聞こえる音。氷が溶ける音なのか、あるいは氷に閉じ込められた空気が逃げ出していく音なのか、わからない。わからないけれど、その音に耳をすます。その瞬間感じている事は奇妙な喜びだ。自分だけが知っているような秘密の音。そんな気がしている。何かが縮むような絞り出すような音だ。それをコップに耳をあてて聞いている。全く意味は無い。心地よい音ではない。けれどそれをちょっぴり楽しみにしている自分を否定できない。きっと誰かに自慢したい。氷が溶ける音を知ってるかい。そんなふうに切り出したい。風呂に入ったことを覚えているだろうか。今日は珍しく風呂掃除をしたね。排水溝に詰まった髪の毛と、石鹸のかすが絡まりあってグロテスクだった。もとが石鹸だから不潔でもないのかな。そんなことを考えたけれど、ベタベタしていて汚いのは間違いないな、って思い直した。そのグロテスクな塊を取り除いただけではまだべたつきが取れなかったから、しかたなくスポンジを手に取った。力任せに擦ってみれば、あっさりきれいになった。その時喜びを多分感じていたんだな。わざわざ口にしたりはしないけれど。あーきれいになったな。そう感じた。よくやったな。自分を褒めていた。それって本当は楽しいことなんじゃないかな。喜びだと言っていいんじゃないかな。見逃していた。そういうこと。多分、自分が小学生だったら絶対自慢していた。学校で会う仲間とかに。いや、「とか」じゃないな。他に話し相手なんていない。まぁいいだろう。ともかく何気ないことを、何気なくさらさらとアウトプットしていた日常があったはずだ。それが今ないから自分の日常をほとんど無視していてしまっているのだろう。話すことの中に喜びを見いだす。そういう性質があったなんて意外に感じる。普段話したがらないくせに。いや、そうだな。それはわかる。説明できる。こういう何気ない話をするには、何気ない関係を作らなきゃいけない。例えば、同じ家で過ごす家族だったり、学校で出会う友人だったり。会社でそういう人がいないんだな。日常の中にそういう人がいないんだな。1人で暮らすようになってから転職をしてからそういう風になった。意識してそういう存在を作らなきゃいけないんだと思う。話すことを楽しみたいならね。でもそれがどうも得意じゃない。理由がないのに話しかけるっていうのができない。だから話しかけて欲しいんだけど、まぁ話しかけられたって急にはなかなかうまくいかないね。だから話をする代わりにこうやってバリバリと書き出していけばいいんじゃないかな。そういう気がした。この結果、気持ちよく眠れそう、とまでは行かないが、虚ろだった一日が何かで満たされるような気がするんだ。こうして話してみるとね。