最終回になりかねない物言い

なぜだか気分が沈みがちで、あまり頭が働いていない。自分からなにか行動を起こそうという気力が枯れて、嘘のようにやる気が無くなっている。自分で自分に幻滅しているのだと思う。というのは、こうして文章を書いているのが息苦しいからだ。言葉と戯れるような気楽さはなく、心を見つめる真面目さもない。

余暇は延々とゲームに費やしていて、なにか罪深い生き物になったような気がする。自分のどこかから、それでいいんだよという声も聞こえる。休日好きなことをして、好きなように生きて最高じゃないかと。何が問題なのかと。

ふざけるなと言いたい。本気でそんなことを言っているのか。100%他人事の同情じゃないか。望んでそういう人間になったわけじゃない。他に楽しいことが無かったからゲームをしているだけだし、もし心がそう望むならまた文章を書きたい。何かを成し遂げたい。心の支えになるようなものが欲しい。

そういう性根、もっと澱んだ打ち明けがたいもの。それを口にだすことができず、会話が上滑りするのがもどかしい。そういう上の空なので、閉店間際のデパートみたいに静々と働いていて、おそらくたぶん熱がない。それが、皆の癪に障るのではないかというのが怖い。

不安は夜に解けて夢に来る。頭をおかしくする。それを和らげる秘訣は心得ている。大丈夫。なにもないという一言。無責任極まる他人の言葉。このような魔法の言葉はしかしそれでいて正しい。腹ただしいことに、明日が来れば、何もないし大丈夫なのだ。当たり前のように出社して、働いて、帰宅して終わりだ。

まさにその無力感。心の宿らない物言いが事実になってしまう悔しさ。あなたはべつに悩んでなんかいないし楽しく生きてるでしょう。何が不満なの。と笑われて何ら反論するところのない事実。安穏と生きて、飲み込んで、でもどこかではちくしょうと叫ばずにはいられないのが現状。癇癪持ちのような不可解な感情の発露はつまり、そういうことだと思ってほしい。