議論らしいけれど違うものについて

 暑くて目が覚めた。窓を開けて見ると、風がゆっくりと吹きこんできて、冷房をつけるほどでもないことがわかった。蝉の鳴き声もちょうど良いくらい。昨日はラブライブを全話見終わって何か一仕事終えたような気分になっている。いつかの寝る前に、議論というものについて考えていた。twitter でそういう話を見かけたからだ。今回は、その時思いついたことをまとめておこうと思う。

 しばしば、議論という体裁で行われるものが、それらしい性質を持っていないことがある。たとえば、いつかの国会を思い浮かべてみる。一方が「少子化が進んでいるので、対策しなければならない」と主張する。これに対して他方が「お前はどうなんだ? 早く結婚したらどうだ」と言う。整理すると下のようになる。

  • (A) 少子化が進んでいるので、対策が必要である
  • (B) 発言者(A)は結婚していないので、結婚するべきである

 (A)は社会全体のことを述べているのに対して、(B)は個人について述べている。両者が扱おうとしている話題が一致していないので、話が進まない。

 もう一つ例を考えてみよう。二人のオタクが喫茶店で会話をしている。一人が「ラブライブは面白い。なぜなら友情や努力があるからだ」と熱っぽく語る。しかし、対する男は「いや、なんか気持ち悪い」と冷ややかに応える。

 この場合はおそらく(A)は、ラブライブという作品の評価を論じようとしているが、(B)は、自分がラブライブに対してどう思っているか説明しようとしている。つまり「自分にとっては気持ち悪く見える、興味がない」という意味合いなのだが、(A)は作品そのものを否定されたような気分になって、憤慨するわけだ。これも作品の評価と、個人の感想なのでお互いの話題が一致していない。

 では、議論にするためにはどうしたらいいだろうか。それは簡単で、話題を一致させればいい。「ラブライブは友情や努力があるので、面白い」という主張を受けて反論するなら「ラブライブには友情はあるが、努力している場面はさほど多くない。説得力に欠ける」とか「ラブライブには友情も努力もあるが、面白いといえるほど深みはない。そんなものは使い古された手法で、単調すぎる」というような流れになるだろう。

 逆に「いや、なんか気持ち悪い」という主張を話題にするとしたらどうだろうか。個人的な意見なので、まずはその理由を引き出さなければならない。しかしそれを問いただしたところで「いや、なんとなくそうなんだ。気にしないでくれ」と返されたとしたらどうだろうか。この場合は(B)は、(A)の考え方を変えたいと思っていないので、(A)にはなすすべがない。議論というのは、両者がお互いの考え方を変えたい(自分と一致させたい)と思っていないと、スタートしないものなのだと思う。

 こうして考えてみると議論とは「互いに矛盾する主張を持った者どうしが、互いに合意できる主張を探して対話すること」だと思う。「互いに矛盾する主張」というところがわりかし重要だ。話題の対象が個人か社会か、客観なのか主観なのかによって、矛盾しないこともある。また、議論には向かない話題もあるということもわかった。個人の感想や意見については、必ずしも一致させる必要がないわけで、「合意できる主張を探す」気にならないのは自然なことだ。たとえば、納豆が好きか嫌いかで意見が割れるのは当然のことだ。そんなことでは、誰も議論しない。そんなふうに、自分が好きなものが否定されてたとしても、あまり目くじらを立てないほうがいいと思う。