お疲れさまでした

年の終わりが近づいています。しばし更新が滞っていたのは、実験的に新しい記事を note へ移行していたためです。いくつか記事を書いてみて、移転する決意ができたので、このセーブポイントは更新を終了したいと思います。これまでお読みいただきありがとうございました。それではさようなら。

どっちつかず

自分の中で明らかに刺々しさとか、息苦しさの爆発みたいな感情が薄れていて、ようするに少し安心してしまっている。あっ一応生きていけるんだすいません。みたいな。少し前まではあと十年生きていけるかも不安だったけれど、今のままなら十年くらいは生きていけそうだと思っているし、それからさきもたぶん生きているだろうっていう気がしている。その安心感の由来はきっと、一人で暮らしているからだろう。なんだかんだ、親元にずっといるというのは心地よくはあったのだけれど、義務を放棄しているような、居場所のない感じはずっとしていた。洗濯をして、掃除をして、料理をして、買い物をして、へえこういうのが人間なんだなってそういうのを改めて知っているのがまるで、社会の一員に混ざっていこうとしているみたいで、安心している。悔しいけれど、そうだと思う。好きな曲を聞いて、一人で下手な歌を歌ったり手拍子を叩いたりできるというのも事実だ。そのかわり結構たくさんいろんなものを捨ててしまった。過去大切にしていたものでも、今ではないと感じるものは大概捨てた。空恐ろしい薄情さがある。そういう自分を一年前の自分が見たら、舐めるなと吠えていたかもしれない。正しからぬ生き方だと感じたかもしれない。どうせ主義主張を壊すなら、もっとめちゃくちゃになってしまえばよかった。髪を剃って寺に行くとか、駅前で歌を歌うとか、牧場で牛の糞をさらうとか、そういう一瞬時間が止まるような姿になりたかった。とはいえ、がいつも絡みついてきて、最後の決断をしてない。たぶんそういうことを十代に謗られたい。

エモすぎてよくわからなくなってしまった。まとめると、ぬるくなった自分が気に入らないということ。精神的にはたぶん、テロリストなんだろうと思う。

最終回になりかねない物言い

なぜだか気分が沈みがちで、あまり頭が働いていない。自分からなにか行動を起こそうという気力が枯れて、嘘のようにやる気が無くなっている。自分で自分に幻滅しているのだと思う。というのは、こうして文章を書いているのが息苦しいからだ。言葉と戯れるような気楽さはなく、心を見つめる真面目さもない。

余暇は延々とゲームに費やしていて、なにか罪深い生き物になったような気がする。自分のどこかから、それでいいんだよという声も聞こえる。休日好きなことをして、好きなように生きて最高じゃないかと。何が問題なのかと。

ふざけるなと言いたい。本気でそんなことを言っているのか。100%他人事の同情じゃないか。望んでそういう人間になったわけじゃない。他に楽しいことが無かったからゲームをしているだけだし、もし心がそう望むならまた文章を書きたい。何かを成し遂げたい。心の支えになるようなものが欲しい。

そういう性根、もっと澱んだ打ち明けがたいもの。それを口にだすことができず、会話が上滑りするのがもどかしい。そういう上の空なので、閉店間際のデパートみたいに静々と働いていて、おそらくたぶん熱がない。それが、皆の癪に障るのではないかというのが怖い。

不安は夜に解けて夢に来る。頭をおかしくする。それを和らげる秘訣は心得ている。大丈夫。なにもないという一言。無責任極まる他人の言葉。このような魔法の言葉はしかしそれでいて正しい。腹ただしいことに、明日が来れば、何もないし大丈夫なのだ。当たり前のように出社して、働いて、帰宅して終わりだ。

まさにその無力感。心の宿らない物言いが事実になってしまう悔しさ。あなたはべつに悩んでなんかいないし楽しく生きてるでしょう。何が不満なの。と笑われて何ら反論するところのない事実。安穏と生きて、飲み込んで、でもどこかではちくしょうと叫ばずにはいられないのが現状。癇癪持ちのような不可解な感情の発露はつまり、そういうことだと思ってほしい。

まとまらない日常とノイズ

  • 寝癖のついた頭で歯ブラシをこすっている。洗面所に来た彼女が、何か声をかけてくれた。返事をしようとしたら、言葉にならない泡を吹いて。思わず二人とも笑った。(もちろん、そんな事実はない。妄想である)
  • 鏡も見ないで着の身着のまま家を飛び出し、田舎へ向かう電車に乗った。国立博物館への案内を聞き流して、何もない駅で降りる。真っ先にぼろぼろの建物が迎える。コンクリートが剥がれて剥き出しの鉄筋が覗いている。天候は曇天、晴れを見たのが一体何日前なのかというほど、太陽はぐずついて二度寝三度寝を繰り返している。
  • 猫にとって、接待の時間は5分ほど。それ以上の時間はもらえなかった。
  • 車のエンジンをかけると、入れっぱなしになっていたCDから、時代がかった曲が流れてきた。しかし、歌い出しの数小節を聞いただけで、母はボリュームを絞る。もう、CDなんて捨ててしまったから、これしか残っていなくてね。もう嫌になるくらい聞いたのよ。
  • ピンボケ状態で歩く。車と人を避けて大通りから1つ外れた道を歩く。スラムのように落書きと汚れ、埃に満ちている。駐車場の「空」という字が目を引いて。苛立ち混じりのクラクションで我に帰る。蝉が遠くで鳴いている夕暮れ時だった。階段を登り、自室の鍵を回す。薄っすら滲む汗を拭い、自らの心拍を確かめたあと、水道水を飲んだ。
  • 朝食を抜いてきたので何か口に入れたかった。しかし、まだ正午まで一時間もある。手頃な店は、どこもかしこも準備中の看板を下げている。あてもなくさまよった末に、カレー屋に辿り着いた。地図を見なかったら絶対に見つけられなかっただろう。薄暗く、狭い路地の奥にあった。こんな時間だというのに、行列ができている。蔦に覆われたアパートを改造した店だった。前に並んでいる男女が、記念の顔出しパネルを手にとって写真撮影に興じていた。ほどなくして店内へ導かれた。乾燥させたハーブを詰め込んだ瓶がいくつも並んでいる。店員たちは忙しなく働いている。店長だろうか。キャップを後ろ向きに被った髭の男性がカレーを運んできた。スチールの皿の上に丸く盛られた細長い米。これをスプーンで崩してカレーに浸しながら食べる。口に含むと舌に痺れを感じる。時折ナッツの軽い食感。やがて滝のように汗が噴き出してきた。次の客が並んでいるため、汗が引くまでのんびりしているわけにもいかない。店を出たが、やはり汗が気になる。とにかくどこでも良いので涼みたかった。すぐ近くのスーパーが開いているのを見て、すぐさま足を運んだ。店頭には両手に収まらないほどの大きな西瓜が並んでいる。値札は3000円。一人者には絶対に必要のない代物だ。しかし、これを持ち帰った家族もあるのだろう。ぽっかり隙間が空いている。西瓜を食べたのはいつだろう。遠く感じられるほど過去の話だ。落ち着かない気持ちで、ポケットの中のキーをもてあそぶ。
  • 遺骨を海に撒いてくれという願いを聞き届けるために、旅をするのであろう。

夏の断片

  • 週末は実家に帰り、道すがら花火を見た。夏のごとき行い。
  • 民家の隙間から見る花火は、わずか数秒の中に、赤や黄色オレンジに緑の色を尽くしている。最後は重力に引っ張られて下向きに火が落ちる。鮮やかな。明るい色。大玉が打ち上がる。音が遅れてやってきて、そうか稲妻と同じだと気がついた。近くの雲が花火の色をもらって、少しばかりネオンカラーに色づいて見えた。
  • 日が暮れる頃、電車で座っていると、若い女性四人組が乗り込んできた。みな違った彩りの浴衣を着こなしている。中でも鮮やかな藍染の浴衣に目がいった。菖蒲の花びらと、青い金魚が描かれている。二秒も視線を奪われた。衣類がその人となりを表しているとは思えないが、こんな人がそばに居てくれたらという錯覚をみた。すぐに視線を切って、それきり記憶から消した。
  • 普段行かない店へ行く。頼んだ料理はチキンにチーズをのせ、バジルソースをかけて焦げ目がつくようにオーブンで焼いたもの。カボチャのマッシュサラダ。輪切りのレモンが清涼感。カウンターのお姉さんが、夜映画を観に行く相談をしていた。籠にはみずみずしいレモン。
  • 深夜に冷蔵庫を開けて、残しておいたシュークリームを持ってくる。かぶりつくと中に詰まったクリームがはみ出してしまった。誰も見ていないのをいいことに、こぼれたクリームをなめとる。滑らかで、甘い。
  • 咳が止まらず、ほとんど眠れなかった。昼過ぎには家を出て駅まで車を出してもらった。住宅と田畑が途切れ途切れですっきりしない風景。水田の近くでたむろしていたトンボが散っていく。
  • 最寄駅の待合室は、空席が目立った。空調が効きすぎるほど効いていてありがたい。幼い姉妹と両親がやってきた。ピンクのボーダーカラーのドレス。腰には大きなリボン。パールのネックレス。ヘアバンドにはカーネーションの花飾り。妹はバレエシューズのような平たい靴を、姉は黒く艶のあるかかとの高い靴を履いている。なにかのパーティーに出席するのかもしれない。

彼方のアストラ

アニメ、彼方のアストラを六話までみた。 故郷を遠く離れた宇宙に放り出された若者たちが惑星を旅する話。爽やかで、楽しそうだなと思う。青春、冒険、成長、そして空想科学。古典的なよさがある。それから特別感じるのは、いろんな出来事が理路整然としている、ということだ。AならばBと言う因果関係がすごく明示されていて、わかりやすい。様々なことに理由が提示されるので納得感がある。けれど、整いすぎていると言う違和感をも生んでいる。手頃なトラブルが、一定の解法を携えて降ってくる。種々の災いは、無茶なように見えて、いるべき人がそこにいて、しかるべき時に降ってくる。まるで、神が与えた試練のように。解法はそこにある。だからこそ爽やかで、すっきりするのだが、けれど何か、特別の感情が湧いてこない。たとえ仲間の一人が裏切り、銃を手に取ったとしても、最悪は訪れないだろう。胸の内で確信している。この物語は決して裏切らない。息がつまり、胸が苦しくなるような結末は決してない。そう思う。きっと彼らは、 作者の優しさに包まれている。子を守る親のような愛情のようなベールに守られている。大切に作られたストーリーなのだろうと推測できる。しかるべき姿だと思う。けれど邪悪な私にとっては、それが玉に瑕のように思える。生きるのはもっと泥臭く、退屈で、凄惨で、容赦ないことなんだ。と、知った風なことを思う。それは願望かもしれない。自分が苦しんだことと同等かそれ以上の苦しみをすべての人に味わってほしい。そうして分かち合いたいという。心が不公平だと喚いている。

キャストアウェイ

飛行機が落ちて、無人島に遭難した男の話。

最後ふんわりしていてよくわからなかったけど、面白かった。ただくだらないことを言うなら、無人島で生きていくのはもっとずっと困難なことだと思う。というのはディスカバリーチャンネルでそういう企画やっている人のドキュメンタリーを観たから。栄養が全然足りなくてもっと痩せる。ココナッツはなかなか育たないのですぐ尽きる。最初の数日で火起こしできなかったら死んでる。きっと四年も生きられない。虫とか熱射病にもっと悩まされるはず。寝床とかももっと環境よくする必要がある。とかそんなしょうもない違和感があった。

So now I know what I have to do. I have to keep breathing. And tomorrow the sun will rise, and who knows what the tide will bring in.

息をし続ける。その言葉が胸を打つんだけど、それだけを聞くととてもバカっぽい。そりゃ生きてれば息をする。難しくもない。誰だってそうしてる。小学生のやりとりみたい。けれど、何年も孤独に生き続けて、心の拠り所だった彼女とも別れて、そういう袋小路にやってきて呟く言葉だからとても意味があるというか。壮絶な体験の中で擦り切れてもういいやってなりそうなところなんだけど、生きていきます。と、それは諦めなのかな。生きてくしか無いよね。不幸でも辛くてもしょうがない。どうしようもない。ということ? いや、どんなに辛くとも何が起こるかわからない。希望の種はある。ということ? わからないけれど、励まされているような気がする。