飲み会で考えること

 霜の降りるあぜ道。マフラーで口元を隠した中学生とすれ違う。昔、通っていた弁当屋がいつの間にか消滅していた。ポスターや看板が消えて、制服を着た店員の姿もない。ただの建物になった。家に帰って掃除をする。左手の棚に、いつか作った星型多面体や、正八面体が飾ってある。余った折り紙で作ったものなので、色合いは悪い。写真を一枚だけ撮って捨てた。悲しいことに、ゴミ箱の中では鮮やかに見えた。

 最近、太ったと感じる。身体的にも精神的にもだ。酒を飲んで、うまいものを食って、好き勝手話して、わがままになって、げらげら笑って。そういう時間が増えた。今月だけで、四回も五回も飲み会に行った気がする。今まで、宴会に対して距離をとって冷めた目で見ていたけれど、うまく話ができれば、気持ちのよいものだとわかった。ただ、話が途切れていたたまれない気持ちになることがある。プログラミングの技術を磨くのと同じように、会話の技術を磨くことはできないだろうか。

 話すことがない時に、よくやっていたのは「何でもクイズ」だ。どこからでも良いので疑問を拾ってくる。たとえば「横断歩道は塗りつぶせばいいのに、縞模様なのはなぜだろう?」とか「なぜカツ丼はトンカツ丼ではないのだろう?」とか「鍋って料理なのに、具材を何一つ言及してないのはなぜ?」とかそんな具合だ。もし誰も乗ってこれなくても、自分が想像している間は楽しい。奇抜な回答が出てきて話が広がることもある。

 話を広げるために「今まで一番○○だった事はなんですか?」という質問を時々していたが、これはあまり良くない作戦だった。なぜなら、過去の体験から「一番」を引っ張り出すのはそう簡単ではないからだ。面白い話は出てくるかもしれないが、考えている間に話題が止まってしまう。たとえば、漫画が好きだと言っている人でも、不意に「一番好きな漫画」を聞かれると答えられない。「最近読んだ中で」という制限をつけてやるとまだ答えやすいが、それでもレスポンスは遅くなる。

 逆に聞かれる側の負担が少ないのは「週末は何をしてましたか?」みたいな質問だ。さほど面白みは無いけれど、思い出すのがたかだか一週間以内のことで済む。ここで、何らかのイベントが掘り当てられれば話は広がる。ただ、話題にする期間が短いので「家事をして寝てたら終わった」と空振りに終わることも多い。それでも、とりあえずはコミュニケーションが発生するので無難な一手だ。

 同席するメンバーが決まった時点で、注文や何やらの間に質問を準備しておくという手がある。たとえば、部長や社長が対面に座ったときは気楽になんでもクイズをするわけにはいかないので、仕事の新しい企画について聞いてみたりする。不満や相談事をぶつけるのも良い。出張から戻ってきたときは、出先の話を尋ねれば良い。取締役のような経営陣は仕事熱心なので、嫌な顔をされたことはない。

 さて、あれこれと考えてきたけれど、実のところ宴会に行くことには未だに抵抗がある。飲んで食べて騒ぐ楽しい時間があるのは事実だ。けれど、すべてが終わった後。恐ろしいほど醒めた気持ちで、暗い道を歩くその時間が慣れない。