雑感想「悪の教典」

 さて。悪の教典の話。これはどうも、気が乗らなくて読むのに3週間くらいかかってしまった。なんで気が乗らないかってそれは、主人公の蓮実聖司がとんでもないサイコパスだからだ。容姿や振る舞いは魅力的だが打算的で、他人を陥れたり裏切ったりすることにためらいがない。しかも頭も切れる。過去に数え切れないほどの人間を謀殺して逃げおおせている。教師でありながら学校に盗聴器を仕掛けて人間関係をコントロールしたり、生徒と肉体関係を持ったりやりたい放題だ。そんな奴の主観視点で話が進むのだから、気分が悪くなる。次はあいつが邪魔だとか、あいつを俺のものにするとか、こうすれば容易く信頼が得られるとか、そんな独白ばかりだ。どろどろの邪悪な内面を取り繕って、社会に溶け込んでいる。うまくいってしまう。そんな話が前半。そりゃあ、読んでいて疲れる。それでも読み進めていくと、後半は熱が入ってきた。

 蓮実は、とある問題を隠すために一人二人と殺人を犯す。それに気づいた生徒をも殺す。それを繰り返しているうちに、逃げ切れないと判断した蓮実は、とうとうクラス全員皆殺しを決める。四十人もの人間を、一人も逃さず、一夜で殺す。その困難さに、かえってやりがいを見出すあたり、相当狂っている。ヤバイ。今まで格好つけていたキザな色男が、壊れた殺人鬼になる。いや、もとより狂ってる感じはあるけども。

 そして生き残るために戦う生徒との攻防。これが一番のピーク。面白い。運動部の数人が逆襲に行ったり、待ち伏せをするアーチェリー部がいたりする。罠を仕掛ける生徒もいれば、自分が生き残るために閉じこもる生徒もいる。頭がおかしくなる生徒もいるし、蓮実を信じてあっさり殺された者もいる。とにかく人が死ぬ。冗談みたいに死にまくる。普通のテロとか銃乱射事件というのは、死傷者も多いが、逃げ出す人もたくさんいる。それなのに蓮実の檻からは、逃げられない。逃げれば殺されるという刷り込みといろいろな仕掛け。絶対お目にかかりたくないけれども、とにかく圧倒されて引き込まれる。

 なるほどこれがやりたくて400ページも前半読まされたのかと。たしかに、いきなり後半だけ読んでも、この急展開に馴染めないかもしれない。前半でじわじわ慣らされたものが、徐々に壊れていって最後に決壊するほうがそれらしい。けれどもしかし、全然気持ちよくはない。「早く終わってくれ!」そう思いながらどんどん読み進めた。これはなんだ。凄いけど汚れてるというか。道徳的にマズイ感じのこれは。ゲームやりすぎて犯罪犯すとかそういう説があるけれども、こういう小説のほうがよっぽど、どぎついんじゃないか。

 刺激さえあれば、何でもありなのかという疑問が湧く。マルキ・ド・サドの著書とか、発禁になるぐらい残酷で滅茶苦茶なエログロだと聞いたこともある。家畜人ヤプーとかあらすじ読んだだけで逃げたくなる。だから悪の教典は、まだ入門レベルなのかもしない。この本で起きていたことは壮絶でグロテスクだけれども、生々しさという点では、それほどでもない気がする。エンタテインメント感があるというか。最後の方は読者サービスしてるんじゃないかってところもあった。今まで容赦なく殺してきたのに、生徒と会話して、洒落を交えながら殺すとかね。

 ちょっと強引に話を戻してまとめると、悪の教典、面白い。けど人間らしさとかそういうのが無いので、自分は好きじゃない。でも、作品のパワーって言うかそういうものが凄まじいのは確かだ。ただの架空の話として「こんな奴いたら怖いよねハハッ」くらいに割り切って読めない。それぐらいガツンと来る感じ。評価を受ける作品というのは、こういう当たりの強さがあるんだろうなあと。自分で何かを書こうと思っても、どうしても踏み外すのが怖くなってしまうから、こういう話を書き上げる人は純粋に凄いなと思う。