年末の逡巡

 何かが擦れるような異音を立てながら、エアコンが温風を吐き出している。新年まであと一時間。大晦日まで寝てばかりだったおかげで、風邪は回復してきたようだ。鼻通りは悪いし、喉の違和感もあるけれど、眠くはない。スピーカーに電源を入れて、最近買った音楽を流す。気持ちを前向きにして、今年を締める日記を書こう。

 今月は、12月1日から25日にかけて、アドベントカレンダーに挑戦した。結果は四日間の手落ち。やりとげる自信はあったのに、虚しく打ち砕かれた。思った以上に、自分の中にあるものは少なかったみたいだ。記事にできなかった話題の残骸がノートに散らばっている。完全になんの主張も結論もない日記を投稿したのも、この数年で久しぶりだ。薄まっていく感覚が自分の中でとても悔しかった。日頃からもっと文章を書くべきだと感じた。

 風邪にうなされながらも小説を書いてみようと思って、ここ数日、白紙のページにいくらかの文字を書き込んだ。深い森で暮らす人の話だ。彼らを巡る出来事の一端を思い描いていた。けれど、筆が進まない。深い森にある植物はなんだ。その空気、匂いはなんだ。どのようにして糧を得ているのか。あまりにも表面的、断片的なことしか書けない。ひとつだけ掘り下げたとしても、その詳細さがいかにも人為的で作りものであることの証明になってしまう。書いているうちに、自分でその描写を信じることができなくなる。

 まるで自作の壺を叩き割る陶芸家みたいなことを言っている。森の描写など無視して、出来事だけさっさと書いてしまえばいいのだが、一文書くたびに「やはりなにか違うのでは」と足をとめてしまう。そんな風だから、全く進まない。そして気力が持たずに投げ出してしまう。こういう体験は一体何度めかわからない。

 森について多くを述べないまま話を進めるか。だとすると、森である必要はないのではないか。そういう風に、スタート地点がぐらつき始める。深い森で生きる人々のことは諦めて、掃除のおざなりな部屋でゲームに熱中している冴えない男の話とか、そんなものを書いてみればいいのだろうか。いや、それは書きたいという気持ちにならないので、本末転倒だ。

 しかしけれど、あとから補強するつもりで、穴のある作品を書いてみるのも悪くはない気がする。つまりは、森がどのような情景を持っているかは、あとで必要と感じたら書き足してみる。そんな考え方でいいから、もう少し話を書いてみよう。まずは、描きたい場面を思うさま楽しんで、そのあとに結論をだすことにしよう。