硬直とその破壊

プログラマに限ったことではないと思うけれど、仕事を始めたばかりの頃は新鮮なことに満ち溢れている。誰もが先輩で、全てが未知の仕事。そこでは、いろいろな知識が洪水のように流れ込んでくる。これは何だ、こんなものがあるのか、こうすればいいのか。ひたすら感嘆して日々学習していくだろう。中には、すぐにはできないこともある。理解できないこともある。それも繰り返し経験することで自分のものになっていく。

しかしながら、一年二年と過ごしていく中で、ある程度力がついてくると、考えなくても習慣で体が動くようになる。未知のことを既知のことでカバーできるようになる。これは「慣れてうまくやれるようになった」と言うことだが、見方を変えれば「新しい情報を取り入れなくなって硬直している」と言うこともできる。ぼんやり仕事をしているような感じだ。僕は、七年か八年くらい同じことをして、もう、すっかり骨抜きになって日々過ごしていた。つまらん、眠いとぼやいていた。

そんな状況では、周りで新しい技術が生まれ、知識の源がちらついていても「今抱えている仕事を終わらせなきゃいけないから」と目をそむけてしまう。逆に「暇なやつはいいよな」と内心で皮肉を飛ばしていた。仕事を終わらせると上司が次の仕事を出すので、その状況は永久に変わらない。今まで組織的にやっていた振り返りや改善活動も自然消滅してしまったから、いよいよ脳が働かなくなった。ひたすら眠い。

そういうとき、部署異動の話が来て、飛びついてしまった。新しい部署では、研究開発を行うことになった。でも、退屈でひたすら眠かった。そこでは、大まかな分野だけ指定されて「勉強してください」という放任主義だった。仕事をもらって、消化するというスタイルにすっかり慣れきっていたので、やはり脳が働かなかった。勉強しようと思っても眠くてしょうがない。興味も出てこない。

八方塞がりになって、こっそり転職活動をした。結果はあっさり落ちた。

ただその過程で、プログラミングに対する知識の浅さを思い知らされた。一つ二つの言語を使えたり、いくつかのフレームワークを使える程度では、あまり応用が効かない。学ぶのが遅い。なにかもっと概念的な知識、デザインパターンとかドメイン駆動開発とか、そういうものを理解していたらいいのかもしれない。あと、新しいことを学ぶときに英語情報しかないというのが本当に多い。だから英文を苦しみながら読むのではなくて、気軽にすばやく読めるようになりたいと思った。こういう感想は、ありふれた、衝動的なものに過ぎないけれど、ともかくそう感じた。

それから、今ある仕事を効率的にやる方法についても真剣に考えるべきだと感じた。ただそれは義務的に嫌々やることではない。切実にやるべきだ。カイゼンとかアジャイルとか形式を先に持ち出すべきではない。自分が悩み苦しんだことを、再び繰り返さない策を立てる。優先順位とかブレインストーミングとか KEPT とか一切しない。ただ心の中で最も負担に感じることや、関心のあることのみ考える。責任、恨み言、綺麗事、色々な本質でないことが混じるので仲間探しはしない。仲間を集めても、どうせ時間がないのでまた今度やろうとか、俺だけ苦労する義理はないとか、得意なやつがやればいい、とかそういう話になる。「みんなの改善したいことを探す」のはたぶん無理だ。だから「俺の苦しみ・非効率を取り除く」ことをまずは考えよう。不羈独立でいこう。