右も左も分からない

三十を過ぎて、初めて両親から独立して一人で生きていくことになった。わからないことがあまりに多すぎる。生活をしていくのに何が足りないのか。どこで何を買えばよいのか。どうやって家事をするのか。料理などもってのほかだ。すべて母に任せきりだったため、ティッシュやシャンプーといった、ちょっとした消耗品さえ、どれを選んだらよいのかわからない。

仕方がないので、迷った末になんとなく選ぶ。無駄に高価なものを買ってしまったり、自分にそぐわないものを買ってしまったりしそうで気が引けた。正解などあるはずもないのに、どこかで正解を探してしまう。失敗しても取り返しがつくのに、躊躇してしまう。わからないけどやるしかない、みたいなものがひたすらに続いて、そこには答え合わせもない。それが、落ち着かない。間違った生き方をしているんじゃないだろうかと思ってしまう。

シャンプーを一個選ぶのに右往左往している様は、さぞかしみっともない姿だったろう。職場では一端の大人のようなふりをしているが、中身はこんなものだ。人間としての経験はあまりにも浅い。限られたことしか知らない、決断できない幼稚な存在なのだ。こうして自分を卑下するたびに、そんなことは誰も気にしていない、と反論する声がどこかから聞こえる。きっとそのとおりだ。けれど、自分がそう思ってしまうのは、抑えようがない。だからこれを繰り返しながら生活雑貨を集める。

その繰り返しがしんどくて、友人に助けてもらったり、通販に頼ったりしてなんとか環境を整えた。ただ、かつてないほどあちこち出歩いたせいか、だんだん体調が悪くなった。引っ越しの重労働で体力を失っていたところに、買い物と仕事でさらに消耗したのかもしれない。喉の痛みから始まって、風邪のような症状になった。

これはよくないなと思いながらも、生きていくために仕事をしなければならず、また食料を買いにでかけなければならなかった。ふらふらしながら一通りの目的を果たしたが、確実に体調は悪化した。休もうと決意した翌日には、あまりの倦怠感のために、身体をまっすぐ起こしているのさえ辛かった。夜には、悪寒で震え、頭痛と、汗をかくほどの高熱に苦しんだ。悪夢を見て眠れなかった。

朝になると熱は少し治まった。ただ、喉の痛みと頭痛、咳が治まらない。膿のような痰を吐いた。そして、尿の色が濃い。吐き気も少なからず感じたが、水のほかは何も口にしていなかったため、異物で新居を汚さずに済んだ。

なにかよくないものに罹ったのだということはわかったが、来たばかりの街で病院がどこにあるのかもわからない。何より出かける気力がない。病院に行って、診断のうえ治療を受けるのが一番良いということはわかっていたが、もう少し休めば回復するだろうと思った。なにより出かけたくなかった。体が弱っていて、風呂に入ったり着替えたりするのも億劫だった。

あまりの虚ろさで気が狂いそうだったので、しばらく疎遠だった知己に声をかけて、会う約束をした。それが一通り終わると、枕元に置いたタブレットで動画アプリを開いた。現実にしがみつくようにドキュメンタリーのチャンネルを選んだ。人が住めないような秘境で生活する番組を見た。それから、自衛隊のレンジャー隊員の訓練を紹介する番組を見た。二つとも、いま自分が置かれている環境よりも、遥かに過酷な環境で、ほとんど食事を取れないような登場人物ばかりだった。奇妙にもそのことに励まされて、水があるだけでも幸せかもしれないと思った。

今はもう病は癒えたけれど、わからないことだらけの世界から脱却することはできていない。