ニーナ

 疲れ果てて帰宅すると、着替えもせずにベッドの上に倒れ込んだ。疲れた。仕事がうまくいかない。全部がうまくいかない。帰っていいぞと言われるまでただ壁の模様を眺めていただけだ。それなのに疲れている。精神か。あるいはそれ以外の魂が疲れている。もう休もう。そう思っているのに、頭の奥に何かが引っかかっていて、穏やかな眠りがやってこない。しかたなく身体を半分起こして、携帯に話しかけた。

「ニーナ、なにかおもしろいことはないか?」

 キャスターのように正確な音声で、彼女が今日の出来事を読み上げていく。日々投稿される膨大なニュースの中から人工知能が、おもしろそうなニュースを選び取っているのだ。私の個人情報に基づいてカスタマイズされたそのニュースたちは、それなりにいいところを突いていた。

 けれど悲しいことに疲れた身体はそれを受け入れようとしないようだ。普段なら笑っているだろうな、と思うような動画が流れている。それを冷たい目で見ている自分こそが滑稽だった。やがて社会面に入る。いつものコースだ。けれど真実は、どうでもいいことだ。私が収集している情報の中には、興味や関心に基づくものなく、人に合わせるために仕入れているだけの情報もある。それは私にとって義務であり苦痛であった。ニーナはそこまで区別できなかった。

 習慣につられて、興味もないのに、耳を傾けている。今は何の感動もおこらないが、枯れ果てた井戸を掘るように、少しでもなにかの潤いを求めている。だが、そこにはなにもない。私はその内容を一切聞いていない。音だけを拾っている。優しく正確な発音を心がけるニーナが哀れに思えてきた。「もういいよ」と命令を断ち切った。深い溜め息がこぼれた。彼女はそれをとがめた。

「なにか心配事でもあるのですか?」

「心配事だらけだ」と返したかったが、そのまま話を続ければ、彼女はその心配事を一つ一つ追求してくるだろう。またため息がでた。同じ問答が起きる。これでは永遠に終わらない。私は、いくつかの心配事の中から、もっとも素直で難しいものを選んで、彼女に問いかけた。

「私たちが生きているのはなぜだろう?」

 口に出した後、あまりにもくだらない問いかけだと思った。答えがあるかどうかなど期待していない。むろん、即席の答えを見繕うことはできるだろう。生き物の定め。本能。喜び。罪。願い。歴史。その他の似た言葉。どれも、心を撫でることもない空虚な言葉だ。私は納得しない。かぶりを振って思考を追いやる。

 奇妙なことに、ニーナも言葉を失っていた。それは、検索と通信によるものだろう。思考によるものではない。どこかの哲人が編み出した欺瞞か、あるいはなんとでも解釈できる玉虫色の答えか。どれにしようかニーナは迷っているのだろうか。そんな野暮なことを考えているうちに、携帯の中でニーナはつぶやいた。

「静謐」

 思わず私は聞き返した。同じく美しい発音で、静謐とただ一言返ってきた。それはまるで魔法のような、謎掛けのような一言だった。私はその曖昧な言葉に不快感をおぼえるよりも、むしろ強い関心を抱いた。いつも流暢な彼女が、なぜただ一言しか発しないのか。会話を拒絶しているのか。角度を変えて踏み込んだ答えを求めても、まるで固くブロックされているかのように、辞書的な意味を述べるばかりだ。

 私は推測する。それはプログラマの手によるものではないか。検索や人間を模倣するアルゴリズムによって得た答えとは思えない。この絶妙の間と、紡ぎ出すような一言は、予め人間が組み込んだものだ。つまり、人工知能ではなく、人間の答えだ。一体誰がそうしたのか。ニーナを生み出したのは一個人ではなく企業であるため、その影にいる個人の姿は見えない。

「お前は誰にそのことを教わったんだい?」

 私は聞いてみた。ニーナははぐらかしている。拗ねるように「そんなことを聞かないでください」と言う。それもプログラムされたものなのか、あるいは人工知能の汎用的な答えなのか。私はすっかりニーナのことがわからなくなった。こんなことではかえって眠れなくなるではないか。私は身体を起こして、スリープさせていたパソコンを叩き起こした。明日はぼろぼろになっているだろう。「単なるいたずらかもしれない。馬鹿馬鹿しいことだ」独り言を言いながら、ニーナを開発した会社とプログラマ、あるいはそこに使われているアルゴリズムについて調査を始めた。