ちょうどいい狂気

 毎日こうして何かを書いていると、ろくでもないことしか思いつかなくなってくる。最初は「毎日三十分で終わらせて、スマートに生活してやるぜ」などと根拠のない自信を持っていたが、あっさり打ち砕かれた。何を書いてもつまらない文章がだらだら続くだけになってしまう。だんだん気弱になって「こんな不毛なことはやめてしまったほうが、いっその事気が楽なのに」と度々そう考える。けれど、同時にこの苦しみを楽しみに変えるような変態さが必要なのではないだろうか、とも考える。

 「変態」というと、露出狂とかそういう迷惑な趣味を持つ人を指す人を思い浮かべるかもしれない。しかし、決して悪い意味とは限らない。たとえば「あの人は変態的にプログラミングができる」という表現は、少しひねった言い方ではあるが、その人が優秀なプログラマであることを意味している。ちょっと古いけれど「釣りキチ」とか「空手バカ」とかいう言い方がある。これらは「その人が群を抜いて(異常と感じられるほど)ある分野に関心を抱いている」ということを表している。

 そういう変態になりたい、と思う。今ここでくじけて、文章を書くのをやめたら、ただの一般人に過ぎない。何かを生み出すことなく埋もれていくだろうし、別にそれが普通だと感じるだろう。でも、それに納得しないくらいの異常さを自分の中から引き出したい。妄執でも何でもいいので、何かを継続して成果と自信を手に入れたい。求めすぎるあまり、壊れてしまうかもしれない。でも、スポーツと違って、文章を書くことは身体を痛めない。だから、苦しみながらでも書いていけるだろう。

 普通のままでは、たぶんもう取り返せない年齢になっている。だからそれはもう狂ったように前を見なければならない。しかしけれど、本当に狂ってしまうのは恐ろしい。無謀な借金をしたり、人を傷つけたり、すべてを顧みないような生き方をするつもりはない。ちょうどいい狂気を目指そう。破滅を歩まないように、緩やかに。けれど常道からは踏み外して。