仲間を求めて

 何かを生み出すには狂気が必要だ、という結論に満足して昨日はぐっすり眠れた。しかし、夜が明けて早速、自分に疑いの目を向け始めた。これまで、自分に狂気が足りなかっただろうか。変態ではなかったのだろうか。いや、そんなことはないだろう。いくらかは既に、変態だったはずだ。もしかすると、変態であるだけでは足りないのではないだろうか。

 僕は、何かに向き合おうと考えるときほど心の内側へ、より内側へと探りをいれる。じっと暗闇を見つめて、そこにあるものが何であるかを探し歩く。それは、深海に一人、宝を探して素潜りしているようなものだ。滅多なことでは宝は見つからない。見つかったとしても鍵がかかっている。試行錯誤の末に、ようやく宝箱が開く。よくやく開いた箱から視線を切ると、あたりには深い闇が広がっている。

 ちょっと大げさだったかもしれない。ともかく、そういうイメージだ。そしてそれはとても効率が悪い。終わりなくそれを続けることを望んでいるなら、そのままでもいいかもしれない。でも、いつまでも今のままでいたいとは思わない。もっとすごいことを探すために、やり方を変えるべき時が近づいているのかもしれない。

 いや、何もこの記事を書くための話に限ったことではない。「もの書きを生業にしたいなら、どうするか?」という話でも同じことが言える。もっと良いアイデアを、もっと良い文章で、もっと手早く、作るにはどうしたらいいのか。いくつかの本を読んで勉強したことはある。けれど試してないこともある。それは、仲間を探し集めることだ。

 ごく当たり前のことだけれど、そういう事に思い至らなかった。なぜなら、どうせ無理だと思っていたからだ。多くの人は、深海の宝を面白がるけれど、自分で探そうとはしないだろう。勝手にそう考え諦めていた。けれど実際に「宝を探しに行かないか?」と誘ったことはなかった。そういうことかもしれない。あるいは、既に先を行く人を訪ねてもいいかもしれない。自分から動くべきときなのかもしれない。

ちょうどいい狂気

 毎日こうして何かを書いていると、ろくでもないことしか思いつかなくなってくる。最初は「毎日三十分で終わらせて、スマートに生活してやるぜ」などと根拠のない自信を持っていたが、あっさり打ち砕かれた。何を書いてもつまらない文章がだらだら続くだけになってしまう。だんだん気弱になって「こんな不毛なことはやめてしまったほうが、いっその事気が楽なのに」と度々そう考える。けれど、同時にこの苦しみを楽しみに変えるような変態さが必要なのではないだろうか、とも考える。

 「変態」というと、露出狂とかそういう迷惑な趣味を持つ人を指す人を思い浮かべるかもしれない。しかし、決して悪い意味とは限らない。たとえば「あの人は変態的にプログラミングができる」という表現は、少しひねった言い方ではあるが、その人が優秀なプログラマであることを意味している。ちょっと古いけれど「釣りキチ」とか「空手バカ」とかいう言い方がある。これらは「その人が群を抜いて(異常と感じられるほど)ある分野に関心を抱いている」ということを表している。

 そういう変態になりたい、と思う。今ここでくじけて、文章を書くのをやめたら、ただの一般人に過ぎない。何かを生み出すことなく埋もれていくだろうし、別にそれが普通だと感じるだろう。でも、それに納得しないくらいの異常さを自分の中から引き出したい。妄執でも何でもいいので、何かを継続して成果と自信を手に入れたい。求めすぎるあまり、壊れてしまうかもしれない。でも、スポーツと違って、文章を書くことは身体を痛めない。だから、苦しみながらでも書いていけるだろう。

 普通のままでは、たぶんもう取り返せない年齢になっている。だからそれはもう狂ったように前を見なければならない。しかしけれど、本当に狂ってしまうのは恐ろしい。無謀な借金をしたり、人を傷つけたり、すべてを顧みないような生き方をするつもりはない。ちょうどいい狂気を目指そう。破滅を歩まないように、緩やかに。けれど常道からは踏み外して。

どうにか新社会人編

まいど。

 就職したての頃は、とにかくびくびくしていたと思う。ここで失敗したら、人間失格の烙印を押されてしまうのだと思って、とにかく慎重にやろうと決めていた。プログラミングに関する業務はぼちぼちうまく行ったが、それ以外の雑用が大変だった。朝礼の司会、電話対応、弁当の注文、行事の後片付けや前準備、それから幹事。

 はじめは何をしても膝が震えるし、手も震える、声も震える。そういう自分の傾向を知っていたので、予め一人でぶつぶつと朝礼の練習をしたり、電話の練習をしたりした。そんなふうにシミュレーションしている姿はわりと間抜けだったかもしれないが、そのかいあって、大きなミスなくこなすことができた。

 とはいえ、練習できないこともある。それは何かというと、飲み会の幹事だ。さっぱりわからない。相談できる友達もいない。ググったりしてみるがよくわからないし、意識高い系のサイトが多くて妙に腹が立つ。とてつもなく情けない気持ちになってくる。「一体俺は何をしているんだ…」仕方がないので、一番優しそうな先輩に尋ねてみた。その時のことはよく覚えている。

 僕はかなり長い前置きをした。だいたいこんな感じだったと思う「本当に仕事とは関係なくて、こんなことを聞くのは場違いかもしれず、本当に情けない話で申し訳ないんですけども…幹事ってどうすればいいんですか?」その場にいた皆が笑った。そして「それは誰にでも聞いていいし、誰でも答えてくれるはずだから…」と教えてくれた。

 それであっさり解決すればよかったのだけれど、飲み会というのは自分にとって魔境だ。先輩に店を選んでもらうところまではこぎつけたが、そこからどうするのかは指南されなかった。ぶっつけ本番に挑んでみたところ、まず注文の仕方がわからない。いや、正確にはわかるが、どれを頼めばいいかわからない。メニューが多すぎる。今なら、とりあえず刺身盛りとか串盛りみたいな、いろいろ食べれるやつを選べばいいとか、なんとなくわかるけどとにかく当時はよくわからなかった。だからよくわからない感じでランダムに頼んだら料理が足りなくて困った。あとざわざわしすぎて声が通らないとか。いろいろとにかく疲れた。

 その後もさらにいろいろな謎の作法があることを知った。注文とりやすいように席は入り口に近い方に座るとか。グラスが空きそうな人に声をかけて次の飲み物を聞いておくとか。空になった皿は片付けやすいように集めておくとか。そういう気配りが存在することを知って目眩がした。やりたくない。できそうもない。本当に、飲み屋についてはいろいろ文句を言いたい。もっとわかりやすくしろといいたい。生ビールの「生」という無意味な言葉を消せ。水割りとかロックとか説明しろ。メニュー見やすくしろ。謎のレイアウトやめろ。単品は別の冊子にしろ。とかね。

 幹事は何回かやったけど、どれもしんどかった。ピザを頼むのですらしんどかった。皆野菜を食べるのか? サイズはどれくらいだ? とかそんなことで悩んだりとか。頼んだのに届かなくてイライラしたりとか。適当にビール注文してたらキリン淡麗生買ってこいとか言われたりとか。とにかくよくわからないことだらけだ。今になって思うと、全部どうでもいい。

 あとは忘年会もやった。そのときは出し物を要求されたのでこれも悩んだ。同期は僕と同じくらい社会に慣れてなくて頭の回らないメンバーだったので、僕がひたすらググった。そして一番無難そうでお金もかからない、ジェスチャーゲームにした。やっつけでうまくいくはずがないと思ったので、司会原稿を作ってひとりでシミュレーションした。今思うとバカバカしい。

 他にもいろいろあったはずだけど、半分くらい幹事についての愚痴になってしまった。僕は必死にそれを仕事として取り組んだけれど、楽しみながらそれをこなせる人もいるだろう。本当に感服する。と同時に、そのような方々にはぜひ、進んで自ら幹事を行ってほしい。そう祈る。

海月水族館へ

 悲しいことがあると知らず知らずのうちに海月水族館へ足が向く。人工海岸を歩いた先にある、そのちっぽけな建物には、ほとんど何もないけれど、名前の通り海月だけはいる。

「よくきたね。外は寒かっただろう」

 重たい扉を開けると、それこそ海月のような髭をたくわえた毛むくじゃらの館長が出迎えた。私は軽い会釈で答える。私が喋らない人間だと知っている館長は、静かに穏やかに頷いた。わずかばかりの入館料を支払うと、そっと使い捨ての懐炉を譲ってくれた。

「暖房をかけるお金がないのでね」

 そう言って、いたずらっぽく微笑んだ。私は感謝の言葉を伝えて、その場を離れた。

 館内は、あまりにも閑散としていた。誰一人としてすれ違うことはない。いつものことだが、学芸員も飼育員も見当たらなかった。すぐに幅二メートルほどの水槽に行き当たる。大きな水槽に似つかわしくない、小さなミズクラゲがただ七匹そこにいた。乳白色の柔らかそうな身体に、か細いレースの糸を垂らしながら優雅に泳いでいる。蛍光灯に照らされ光を透かすその姿は、とても神聖なものに見えた。

 水を循環させるエアレーションの低音だけが静かに流れていく。暗いベンチに腰掛けて、私は背景の一部になった。

 脳を持たないこの生物は、何を考えて生きているのだろう。彼らには天も地もない。ただ流れに身を任せている。七匹は無関係にすれ違い、無秩序に漂っている。そう、それを眺めていると、くだらないことで悩むのは止そうと思えるのだ。だが、その経験則は虚しく打ち破られた。心のざわめきが止まらない。ただただ胸が苦しい。七匹がなんの言葉もかけてくれないことを恨めしく思うほど、自分のことしか考えられない。

 気がつくと指先が凍るように冷え切っている。息を吐きかけたぐらいでは、気休めにしかならなかった。なるほど、たしかに冷える。ポケットに手を突っ込むと、暖かくなっていた懐炉に指先が触れた。私はそれを、そっと握りしめた。じわりと熱が伝わってくる。そうだ。なんの支えもない人間は、こうして、ささやかなものに頼らなければならないのだ。

父は戦争に行った

 父は魚市場に勤めている筋肉質な男だった。よく二の腕の筋肉を見せつけ、僕らに向かってぶら下がってみろと言った。そして、僕の体重ではびくともしないことを自慢するのだった。思い出すと笑えてくるくらい、芝居がかったやり取りだ。何かのドラマを真似していたのかもしれない。わからないけれど、僕らはそれくらい無邪気だった。

 そんな父が家を出たのは、もう二十年も前だろうか。自ら意気込んで戦争のために、人々のためにと志願したのだった。もはや記憶の中の父は幻のように霞がかっていて、その顔を思い出すことはできない。ただ、その時の言葉は覚えている。

「ちょっと行ってくるよ」

 タバコを買いに行くときと、ほとんど大差ない口調だった。僕は父がどこに行くのか、何をするのかも知らなかったため、笑顔で送り出した。母は黙りこくっていて不機嫌そうにしていたため、とにかく近づかないようにしていた。

 翌日の早朝。父の姿はない。それは、いつものことだ。市場の朝は早いのだから、慣れている。けれど、学校を終えて家に戻っても、いつまでたっても、父は戻らなかった。言いようのない不安を感じた。まるで太陽が登らなくなったみたいに、当たり前が訪れない。がっしりした、存在感の塊のような人が、いない。

 喪失感を強く感じているのは僕だけではなかった。食事の時間になると、母は陰膳を作った。淡々黙々とご飯をよそう姿は、鬼気迫るようであり、団らんの時間は訪れなかった。食器の音だけが聞こえる食卓は、ひどく居心地が悪い。僕は手早く食事を済ませて、逃げるように自室に戻った。母は何も言わなかった。

 幾日もそんな日が続いた。あるときから、家に帰ると、家の前に母が立つようになった。箒を片手に、掃除をしているふりをしているが、視線は忙しなく動いている。父を待っているのは明らかだった。僕は理解した。母にも、父の行方は知れないのだ。その時初めて「もしかして返ってこないのかもしれない」と思い至った。瞬間、全身が総毛立った。あんなに強い人が、消える。あの力強い腕に触れることは二度とない。この広い家で、あの姿を見ることがない。なにかめでたいことがある度に、満面の笑みを浮かべながら寿司を買ってきたあの人が。

 全部が終わりだ。悲しみで胸が苦しくなって、目に涙が滲んだ。かつて父は「泣くな」と言った。無理だ。涙が止まらなかった。声を上げて泣いた。僕をいつも慰めてくれた父はいない。いくら泣いても手を差し伸べられることはない。いつの間にか、母が憔悴した顔で僕を見ていた。僕は責められているような気がして、萎縮した。子供ながらに「自分は助けを求めてばかりで何もしない子供なのだ」と気づき、自分を恥じた。

 つぎの食事の時間、私は一人で母に話しかけた。その空間が嫌だったというよりも、まだ母が何かつながりを求めているような気がして、そうしたのだった。話題はその場で思いついたものにすぎない。学校でこんなことがあった。父はどうしているのだろう。このテレビ番組はおもしろいね。すべてが空振りして、私が苦しそうに話していると、母は初めて口を開いた。

「止めなさい」

 初めて聞く冷徹な声だった。僕は、冷水を浴びせられたような気分だった。何か、失敗しただろうか。考える間もなく、母は感情を剥き出しに僕を叱責した。

「あなたは、なんなの? まるで当たり前みたいに、毎日生きて。そんなに楽しいの? あの人がいま、どんな思いで戦っているのか、わからないの? わからないでしょうね!」

 そう言って、食卓に拳をたたきつけた。味噌汁の入った茶碗が倒れる。僕は、静かにそれを拭った。何も言い返すことはできない。終わりだ。父が終わったのと同じように、もはや母に頼ることもできない。ただ悲しむこともできないのだろうか。いや、違う。僕がただ悲しんでいるに怒った母は、父が今どうしているのかを想っていたのだ。戦地で傷ついているのか。冬の寒さに震えながら戦っているのか。飢えているかもしれない。その中で安穏と生きている僕はなんだ。きっとそれが許せなかったのだろう。命のやりとり。殺し合い。奪い合い。僕は、戦争も、そこに赴く人のことも一切考えていなかったのだ。

iPad Pro が届いた

 衝動的に注文した iPad Pro 12.9インチが届いた。意気込んで封を解き箱を開けた。とにかくでかい。今まで使っていた iPad mini の約2倍の大きさだ。引き継いだ色々なゲームを触ってみた。全部でかい。両方同時に動かしてみると、mini のほうは子供みたいだ。

 で、それからどうするのか。結局何も変わってない。今日は一日中ゲームしかしなかった。画質を落として遊んでいたアリスギアは、ものすごい綺麗になってすげえなと思った。とにかく女の子のモデリングがすごくいいので、まるで変態のように眺めてしまう。たとえ変態でなくても、年頃の女性をじっくり眺める機能を与えられたら、その気になってしまうんじゃないだろうか。そしてそれは悪いことじゃないはず。

 スマホで遊んでいたドラガリアロストもインストールしてみた。とにかく画面がでかすぎて笑えてくる。ボタンが引き伸ばされて、にじんでないかと思うくらい画面がでかい。おかげで、今まで小さすぎて見えなかったルクレツィアのホクロに気づいた。スピーカーも4つに増えたので、ドラガリアロストに入ってるほとんどの歌もよく聞こえるようになった気がする。今回のイベントの優しい感じの歌も良いと思う。

 最後に新作のロマンシングサガ・リユニバースを遊んだ。この新しいロマサガは、色々と過去のリソースを組み合わせて、現代のスマホゲームの文法に当てはめたみたいな感じのゲームで、つまりは結局ガチャとか育成とか、相変わらずそこにあるのはそれだ。新しく登場したキャラもいるけど、旧キャラクターが目立ちすぎていて、主人公の存在価値がよくわからない感じになっている。

 今回のロマサガでやっているような「過去の英雄を召喚してあれこれする」というストーリーは誰が始めたのだろう。有名所ではフェイトだけど、同じような筋の作品は珍しくない気がする。ドリフターズとか。キャラクターをたくさん出せるので、ガチャと相性がいいのだろうけれど、ロマサガがそうであったように、英雄たちが濃すぎて主人公を食ってしまったり、それぞれが噛み合わなくて話がバラバラになったり、決して簡単なフレームワークではない気がする。

 延々とオートプレイをしていると、不毛だなあと感じる。良いゲーム機を手に入れたとは思うけど十万円以上するからコストパフォーマンスは相当悪い。こんなことをしている隙があるなら、スマブラに手を出すべきなのかもしれないし、このまえの物語に書き足すべきなのかもしれない。でもなんとなく別のを考えてしまうので、やはり別の話を書いてみようと思う。

ニーナ

 疲れ果てて帰宅すると、着替えもせずにベッドの上に倒れ込んだ。疲れた。仕事がうまくいかない。全部がうまくいかない。帰っていいぞと言われるまでただ壁の模様を眺めていただけだ。それなのに疲れている。精神か。あるいはそれ以外の魂が疲れている。もう休もう。そう思っているのに、頭の奥に何かが引っかかっていて、穏やかな眠りがやってこない。しかたなく身体を半分起こして、携帯に話しかけた。

「ニーナ、なにかおもしろいことはないか?」

 キャスターのように正確な音声で、彼女が今日の出来事を読み上げていく。日々投稿される膨大なニュースの中から人工知能が、おもしろそうなニュースを選び取っているのだ。私の個人情報に基づいてカスタマイズされたそのニュースたちは、それなりにいいところを突いていた。

 けれど悲しいことに疲れた身体はそれを受け入れようとしないようだ。普段なら笑っているだろうな、と思うような動画が流れている。それを冷たい目で見ている自分こそが滑稽だった。やがて社会面に入る。いつものコースだ。けれど真実は、どうでもいいことだ。私が収集している情報の中には、興味や関心に基づくものなく、人に合わせるために仕入れているだけの情報もある。それは私にとって義務であり苦痛であった。ニーナはそこまで区別できなかった。

 習慣につられて、興味もないのに、耳を傾けている。今は何の感動もおこらないが、枯れ果てた井戸を掘るように、少しでもなにかの潤いを求めている。だが、そこにはなにもない。私はその内容を一切聞いていない。音だけを拾っている。優しく正確な発音を心がけるニーナが哀れに思えてきた。「もういいよ」と命令を断ち切った。深い溜め息がこぼれた。彼女はそれをとがめた。

「なにか心配事でもあるのですか?」

「心配事だらけだ」と返したかったが、そのまま話を続ければ、彼女はその心配事を一つ一つ追求してくるだろう。またため息がでた。同じ問答が起きる。これでは永遠に終わらない。私は、いくつかの心配事の中から、もっとも素直で難しいものを選んで、彼女に問いかけた。

「私たちが生きているのはなぜだろう?」

 口に出した後、あまりにもくだらない問いかけだと思った。答えがあるかどうかなど期待していない。むろん、即席の答えを見繕うことはできるだろう。生き物の定め。本能。喜び。罪。願い。歴史。その他の似た言葉。どれも、心を撫でることもない空虚な言葉だ。私は納得しない。かぶりを振って思考を追いやる。

 奇妙なことに、ニーナも言葉を失っていた。それは、検索と通信によるものだろう。思考によるものではない。どこかの哲人が編み出した欺瞞か、あるいはなんとでも解釈できる玉虫色の答えか。どれにしようかニーナは迷っているのだろうか。そんな野暮なことを考えているうちに、携帯の中でニーナはつぶやいた。

「静謐」

 思わず私は聞き返した。同じく美しい発音で、静謐とただ一言返ってきた。それはまるで魔法のような、謎掛けのような一言だった。私はその曖昧な言葉に不快感をおぼえるよりも、むしろ強い関心を抱いた。いつも流暢な彼女が、なぜただ一言しか発しないのか。会話を拒絶しているのか。角度を変えて踏み込んだ答えを求めても、まるで固くブロックされているかのように、辞書的な意味を述べるばかりだ。

 私は推測する。それはプログラマの手によるものではないか。検索や人間を模倣するアルゴリズムによって得た答えとは思えない。この絶妙の間と、紡ぎ出すような一言は、予め人間が組み込んだものだ。つまり、人工知能ではなく、人間の答えだ。一体誰がそうしたのか。ニーナを生み出したのは一個人ではなく企業であるため、その影にいる個人の姿は見えない。

「お前は誰にそのことを教わったんだい?」

 私は聞いてみた。ニーナははぐらかしている。拗ねるように「そんなことを聞かないでください」と言う。それもプログラムされたものなのか、あるいは人工知能の汎用的な答えなのか。私はすっかりニーナのことがわからなくなった。こんなことではかえって眠れなくなるではないか。私は身体を起こして、スリープさせていたパソコンを叩き起こした。明日はぼろぼろになっているだろう。「単なるいたずらかもしれない。馬鹿馬鹿しいことだ」独り言を言いながら、ニーナを開発した会社とプログラマ、あるいはそこに使われているアルゴリズムについて調査を始めた。